佐野邦彦
波照間島・ニシハマ
日本の最西端の与那国まで行っていながら、それよりも近くにある日本の最南端の波照間島まで行かなかったことが、ずっと心残りだった。やはり今年も行くしかない。時期も同じでいいだろう。子供達に今年も八重山へ行く事を告げ、どこに泊まりたいと尋ねると、異口同音に「ホテルミヤヒラがいい!」と言う。どうもホテル内で食べた鉄板焼きのステーキが美味しくて、また食べるのも楽しみのようだ。
さっそく旅行パンフを揃え、書店で昨年とても役立った昭文社の「まっぷる情報版:宮古・石垣・西表」の2000年版を購入する。すると旅行ガイドのコーナーにあった「やえやまGUIDE BOOK」という本が目にとまる。なんとこの本は230ページにわたって八重山諸島の全ての島の情報がぎっしりと詰め込まれていた。以降この本は自分のカバンに常備され、暇な時に何度もパラパラめくって、それぞれの島のベストの観光コースを頭に描くのが密かな楽しみになった。単なる観光ガイドに止まらず、島の歴史や文化までコラム形式で楽しく紹介してあるスグれもの。この1冊で八重山ガイドは決まりだ。
さて、第2回八重山ツアーは、東急観光の「あ!熱帯アイランド石垣島」を早くに申し込んだ。利用出来る便だが行きは早朝か昼、帰りは午前中と夜の2種類の中からの選択だが、行きはどちらでも問題ないし、帰りは遅い方を選べばいいので、まったくのベストチョイス。まだ早朝はきついと判断して、行きは昼の便を選んだ。宿泊は昨年と同じくホテルミヤヒラでこれは嬉しい。特筆したいのはその美しさでは八重山一と言われる竹富島のコンドイビーチの海水浴プランが大人1000円、子供500円というとんでもなく安い値段で申し込める。石垣島=竹富島間の高速船での往復、竹富港からコンドイビーチまでの送迎ワゴン車の往復が入って、家族4人でたったの3000円。同じものをJTBで申し込むと7800円なのだから、まったく信じられないような低価格だ。これもすぐに申し込む。
肝心の波照間島は便数が少なく朝は一種類しか選択肢がないこと、また島にはレンタサイクルとレンタバイクしかなく、自転車で1周するのは子供には厳しそうだったので、午前中にマイクロバスでの観光が付き午後はフリーの安栄観光主催「波照間島観光コース」を事前にJTBより申し込んだ。こちらは大人11000円、子供7500円で計37000円と少々高い価格となった。
2000年6月28日(水)
行きは嬉しいことに石垣までの直行便が用意された。13:30発のJTA73便。石垣空港は滑走路が短いので那覇へ飛ぶような大型機ではなく、中型の旅客機となる。3時間のフライトで一気に到着する。石垣空港の暑さも、前ほどの驚きがない。まだ2度目の来訪なのにホテルの回りの道だけでなく、沿道の店のたたずまいまでしっかりと記憶があり、自由に動き回ることが出来る。道端の赤いハイビスカス、濃い緑の木々まで、いつも自分の回りにあったもののように思える不思議なディジャヴ。憧れの地というものは、記憶の密度をこんなにも上げるものか。
ホテルではドアでつながっていますのでと2つキーを渡される。鍵を空けると、昨年4つベッドが並んでいた部屋のベッドが2つになっていて、お互いの部屋を仕切る間のドアが開けられ、行き来が自由になっている。広い!4人1室のプランなのに嬉しいサービスだ。
2000年6月29日(木)
今日は念願の波照間だ。この1年間、ホームページで色々と八重山の情報を読んでいたが、一番人気はこの波照間島だった。八重山観光の拠点の石垣島、最も多くの観光客が石垣から訪れる西表島、国境の与那国島も、来島者の熱い思いの点で波照間島に負けている。この島はたった人口570人、あるのは民宿だけで、レンタカーもない、言ってみれば何もない島だ。確かに日本の最南端ではあるが、これは人間が住む島として最南端という事である。記念としてなら与那国の方がインパクトはあるのだが、波照間には不思議な魅力があるらしい。
8時40分、安栄観光の高速船に乗って出発した。この航路、他島と違って外洋に出るため、天気が悪いと地獄のようにゆれるらしい。欠航もしばしばだとか。ただこの日は快晴で風もなかったため、幸い大きくゆれることはなかった。時速65kmも出る高速船に60分で波照間港に到着、港で待っていたワゴン車に乗り込み、島内観光が始まった。まずは日本最南端の碑へ移動、ここは回りが断崖で、荒々しい黒潮がしぶきをあげて岩をうがっている。
その先ははるかフィリピン諸島だ。最南端の碑は石作りの簡素なもので、与那国の立派な最西端の碑とはだいぶ違う。豪華な稚内の最北端の碑とは比べるまでもない。しかしそんな素朴さが、この島にはよく似合っていた。
その後、隆起サンゴ礁で作られ川のないこの島の最後の生命線だったシムスケーという、今はすっかり乾き切った古井戸を見る。そして現在、島の水を供給している大きな海水淡水化装置も見て、この島にとっていかに水が大事だったのか、痛いほどに伝わってきた。
波照間(ハテルマ)とは果て(ハテ)のサンゴ礁(ウルマ)、また島の言葉ではパティローマと言うが、そこから生まれた。この厳しい環境で、島の住人は人頭税にも喘ぎ、南に楽園があると信じて存在しない南波照間島(パイパティローマ)へ旅立っていき、そのまま戻ってこなかったという。海の彼方の理想郷、ニライカナイを信じて彼らはどこへたどり着けたのだろう。
ざっと島を回って民宿で昼食になる。玄関は脱いだ靴が所狭しと置かれ、入り口の回りには何人かの若者が腰をかけている。何をするわけでもない。その後は自由行動、その美しさで知られるニシハマで泳ぐことが午後の目的だ。
民宿からニシハマまでは距離があるので、レンタサイクルを借りる。レンタサイクルはたくさんあるがどれも整備は良くない。キコキコと乗りづらい自転車をこぎながらバナナやパパイヤがなる集落を抜けるとサトウキビ畑に出る。目の前に大きな白い風力発電の風車が鈍い光を放ちながらゆっくりと、音もなく回っている。強烈な夏の日差しにゆらめいているようだ。波照間は北緯24度2分で、北回帰線のすぐ近くにあるため、太陽光は真上から降り注ぐ。影が出来ないこの島で、反射光で輝くような草原から高く見上げると、圧倒的な存在感を持つ白い風車。とてもシュールな光景だ。このドイツ製の風力発電の風車は、風向きで角度を変え、台風の時は自動的に羽を折り畳むという。島の電力の1/5を賄うこの風車、波照間はエコ・エネルギーの島でもあった。
ここを越えると後は下り坂、島でもらった地図を見ると「モンパの木」という島で唯一のおみやげ店が近くにあるはずだ。ちょっと探すとその店が見えた。手作りの極彩色の看板の「モンパの木」は、入り口が開けっ放し。インターネットで何度も見た手作りのTシャツを手に取り選んでいると、長い髭を蓄えた店主が声をかける。
子供達に「どこから来たの?」長男がぶっきらぼうに、ちょっと照れて「世田谷」と答える。「東京」と答えろよーとは私の心の声。「学校は?」「休んで来た。」「そうなんだ。君たちはいいお父さんを持って幸せだな。」と会話が続く
。私が選んだTシャツを買いながら「インターネットで何度も見て、やっと来られました」と言うと、「そうらしいね。でも俺、そういうのやらないから。お客さんに見せてもらったよ」と笑う。「与那国にはこういう店がないんですよ」と言うと、「なぜなんだろう。そうだ、あなたがやったら?食うだけなら食っていけるよ」とまたほほ笑んだ。この店のご主人、波照間に魅入られて、本土から移り住んだのだという。この素敵なご主人との会話で、なぜ波照間に人気があるのか、少し分かったような気がした。
さらに下るとニシハマへ出る。はるかに広がる翡翠色と瑠璃色の海。見事なグラデーションは時間と共に色を変えていく。他に泳いでいる人は数人だけ。あまりに静かで、あまりに美しい海だ。
シャワー完備とあるが、男性の方のシャワーは扉が壊れ外されて開けっ放し、女性の方もドアが閉まらず手で押さえておかないといけない。でも他に人がいないのだから恥ずかしいこともない。日本の最も南のビーチで、ただぼうっと水平線に大きく横たわる西表の島影をながめながら、ゆったり速度を落とした南国の時間にまどろんでいた。
海を出てシャワーを浴びるが水がほとんど出ない。外の足洗いの水道を使うと、中のシャワーは完全に止まってしまう。ずっとずっと昔から水が大事だった波照間。そんな事を考えると、とても自然なことのように思えた。
2000年6月30日(金)
石垣滞在通算6日なってもまだきちんと石垣島自体の観光したことがないのがずっと気になっていた。だから今日は石垣島周遊の日と決めていた。
まず白保に行きたかった。ここにはかつて大型機を乗り入れられるよう新石垣空港を作る予定があったが、白保の海の世界的なサンゴの群落が絶滅すると全国をあげての反対の声がまきおこり、今はその貴重な自然が守られている。こういう公共工事は利権と結びついているので、また形を変えてやってくるだろう。でももう自民党型の利益誘導政治は終焉が近くなっている。自然を壊す便利さなどにつられはしない。
ここでグラスボートに乗ろうと思っていたが、干満の時間がうまく合わずこのプランは断念。仕方なく白保地区を通り過ぎ、一気に玉取崎展望台へ向かう。ここは北にニュッと伸びる平久保半島の付け根で、一番狭い場所は200mしかないと言う。その景観は展望台から一望でき、太平洋と東シナ海がせめぎあっている様がよく分かる。島の緑と海の緑のコントラストが見事で、石垣島でベストの眺めのひとつ。
そのまま北の突端の平久保崎へ向かう。ここは眼前に小島はあるものの他が海だけなので玉取崎に比べてれば地味な印象を受ける。しかし牧歌的でやさしい空気の流れる場所だ。
そこから西に向かって走る。島の中間点にある吹通川へ車を止め、川岸へ降りていく。マングローブの林はそのまま歩き出しそうに根をいくつも張っている。干潟のようになった川辺には、ハゼや小さなコメツキガニが所狭しと動き回っていた。ここは生物の宝庫でもある。
そして米原ビーチでシュノーケリング。2度目だとまるで伊豆の海に来たかのような気安さがある。川平湾を通り過ぎ、西の端の御神崎に到着する。ここは巨岩がそそり立ち、荒々しく、男性的な景観だ。石垣島は端と端とでまったく違う表情を見せてくれる。
石垣島の道路はよく整備され、ドライブは実に快調だ。立ち寄ったポイントでゆっくりと時間をかけても、石垣島一周は暗くなる前に終わることができた。今日はホテルを出て、回りの店で沖縄料理を食べよう。私と子供はピーナッツで作られたジーマミー豆腐が特に大好き。そして帰りは夜10時頃まで開いているお土産店を幾つも見て回り、夜になって心地良い暖かさになった南国の夜風を体いっぱいに感じて、ホテルへ戻っていった。
2000年7月1日(土)
今日は竹富島行きの日だ。この島は1日35便も石垣から往復がある八重山観光のメッカ。安栄観光の代理店である平田観光の事務所に行き、往復の船とコンドイビーチまでの往復のマイクロバスのチケットが4枚つながったものを受け取り、9:30分に竹富行きの船に乗ると、たった10分で到着してしまった。
この島は、昔からの景観を大事にし、島全体で町並みを保存している。過疎化が進み人口は280人弱しかいないが、島の人の強い結び付きと努力によって、この島は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
サンゴの白い道路を走り、コンドイビーチへ到着した。ワゴン車を降りて思わず言葉を失う。真っ白な砂浜にどこまでも広がる淡い翡翠色の海と青い空。自然が作り出したこの最高の景観は八重山で随一の美しさだ。沖縄全体でもトップを争う評価を得ているコンドイビーチはただ眺めているだけでもいい。海は信じられない遠浅だ。ラグーンが大きいのでどこまでも歩いてそのまま水平線まで行けるような気までしてしまう。ビーチパラソルを借り、デッキチェアの下で海を眺めていると、涼しい風が通り過ぎていく。ああ、極楽。これこそ楽園だ。まさに大滝詠一の『Long Vacation』の世界だな。「カナリア諸島にて」か「オリーブの午后」。しかし音楽なんて無粋、こんな景色の前では不要だ。波の音もない、音のない世界に、心が解き放たれていく。
本ではこの隣に星砂が取れるカイジ浜があり、浜伝いに歩いて行けると書いてあった。そうだ、歩いていってみようと、海でずうっとシュノーケリングをしている子供と、デッキチェアの妻を置いて、ひとりで浜を歩いて行った。白い浜辺は大きな弧を描き、ほどなくコンドイビーチは見えなくなる。歩いているのはただ一人。白い浜とコントラストを見せる浜辺の濃い緑の木々の間にはアダンの実がたわわに実り、鮮やかな色の鳥が木立から時折、姿を見せている。翡翠色の海とコバルトブルーの空、白い雲からはスコールの兆しの灰色の帯がいくつも地上に降り立っている。夢を見ているかのようだ。
カイジ浜にある、拾った木で作ったような売店で、貝殻で出来た手作りの風鈴を買い、またコンドイビーチへ戻っていった。ここにまた戻る。今度は家族でこの浜辺を歩こう。この美しさを見せてあげるんだ。来年も再訪することを心に決めてビーチへ戻ると、干潮が進んで遠浅の海はかなり白い砂がむきだしになっていた。海のグラデーションを作っていた黒い海草も姿を現している。海はずうっと奥まで行っても膝のあたりまでしかない。コンドイビーチが最も美しいのは干潮までらしい。後ろ髪を引かれる思いでコンドイビーチを後にして石垣へ戻る。
17:45発JTA620便で那覇まで、それから乗り継ぎにたっぷりと2時間あり、那覇空港のレストランで夕日を眺めながら食事をして、20:40発のJAL1936便で東京へ戻った。羽田着は23:10分。東京は信じられないほどの豪雨で、水浸しの環七を切り裂くように進みながら自宅へ戻った。
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