1999年3月30日火曜日

Gary Lewis インタビュー

 Gary Lewis にとうとう突撃インタビューする時間が迫ってきた。佐野さんと事前に打ち合わせをするため、16:00 に渋谷 HMV にて待ち合わせ。自分が本人と会った時にサインしてもらおうと Collectable からリイッシューされた CD を HMV にて購入。明治通り側から新橋行のバスに乗車。バス内にて、佐野さんとなんて英語で挨拶しようかなどと相談。16:32 六本木到着。雨がまだ少し降っているためアマンドの向かいの First Kitchen にて打ち合わせ。事前に佐野さんより頂いていた質問リストに 2 人で目を通す。「前置きがクドイから少し割こう」など色々確認をしていたらもう時間だ!佐野さん慌ててトイレへ。次、自分もトイレへ。六本木の交差点を Sweet Basil 139 の方へわたる際に、昂る気もちを静めるように 2 人でタバコを歩きながら吸う。「佐野さん、実はぼく結構あがり症なんですよ(笑)」さあとうとうこの瞬間が来たぞ!
通された部屋には NHK 相撲中継を熱心に見入る人がいた。Gary Lewis 本人だ。最初に我々が何者なのかを Gary Lewis 氏に伝えた。
Gary Lewis:「やあ!ぼくは相撲が大好きなんだよ。丁度今も見ていたところだよ。」
佐野・Shinnie:「お楽しみ中大変恐縮です。」
Gary Lewis:「いやいや全然構わないよ。まあまあ、そこに腰掛けて」
Gary Lewis が見ていたテレビを背に二人座る
佐野:「VANDA という雑誌を作っているものです。VANDA 21 号であなた方バンドの特集を組みました。情報として不足していた部分を補う形で22号にも引き続き掲載されています。」(VANDA 21 号、22 号を実際に見せる)
Gary Lewis:「はいはい、ぼくコレ知ってるよ」(とっても素敵な笑顔で。事前に VANDA 誌が手渡されていたようだ)
佐野:「あと、『Soft Rock A To Z』でもあなた方バンドのことを取り上げています。」(現在制作中の改訂版の一部を本人に見せる)
すんなり質問に入ろうとしたところ佐野さんが渡した『Soft Rock A To Z(改訂版)』の日本盤シングルジャケット一覧を眼鏡を外し机に顔を近づけて熱心に見入る Gary Lewis 氏。
佐野:「ここにあなた方のシングルが載っていますよ」(指で教えてあげる)
Gary Lewis:「スゴイ!スゴイ!素晴しい!見てよこんなにたくさん!」
Shinnie:「日本盤にはそのまま英語曲名が採用されない場合があって、邦題に置き換えられる場合も多々ありました。その方が日本のリスナーに分かり易い(伝わり易い)と思ったんでしょうね。」
Gary Lewis:「うんうん。知らなかった(ん?)。ホントにスゴイ!当時もらっていた印税用紙のどこを見ても、どこにも日本でのセールスのことなんて書いてなかったから、今の今まで日本でぼくのシングルが発売されていたなんて夢にも思わなかったよ。そして見てよコレ!こんなにたくさんリリースされていたんだね。素晴しいことだよ。誰も当時自分の曲が日本で売られているなんて教えてくれていなかったからホントに知らなかった。でも素晴しいことがされていたんだね。」(とっても感激した様子で)
佐野・Shinnie:「えええええええ!」
Gary Lewis:「それに今回のステージに対する会場の反応の良さときたら...、ホント最高だよ。Sweet Basil の人たちもみんなぼくらバンドにとっても親切だし、もう最高だね。とっても日本が気に入ったよ。最高だよ。もうホント最高。是非また日本で演奏したいね。」(でもなんで日本でも当時シングルがリリースされていたことを、知らされてなかったんだろう?)
佐野:「今日実は 20 前後の質問を用意してきました。一緒に我々の疑問を解決して頂けると大変ありがたいです。」
Gary Lewis:「全然問題ないよ。是非やろう。」
佐野・Shinnie:「よろしくお願いします。」




- Jerry Lewisの息子としての俳優の道ではなく、ミュージシャンの道を選んだのは何故ですか。教えてください。Gary Lewis:「父親と比較されるのが嫌だったんだ。何をやってもきっと父親と比較されるだろうし自分の Identity っていうものが確立できなかったと思うしね。父親はコメディで、ぼくは音楽。これだったら比較をされずに自分を見てもらえるだろ?」

Shinnie:「昨晩あなたのライブを我々も見たのですが、ステージで多少コメディが階間見られましたね。」
Gary Lewis:「うん(笑)。多少ね。もちろん Jerry Lewis の息子だから元々自分の中に存在している部分なんだ(笑)。」(その答えがほしかった!)
- Snuff Garrett とはどの様に知り合ったのですか。Gary Lewis:「ぼくの父親が Snuff Garrett と知り合いだったんだ。父親が、息子がバンドをしていてレコーディングをしたがっているから一度見てやってくれないかってことで Snuff Garrett に伝えてくれて、ぼくらがリハーサルをやっている時に一度見に来てくれたんだ。そこで彼は初めてぼくらの音を聴いたのさ。彼はとってもぼくらのことを気に入ってくれて、一週間後には Liberty Record と接触できたんだよ。だから父親を通じて知り合ったんだね。」(ホントに終始笑顔で。ここでちゃんと録音されているかどうかと佐野さんがレコーダをトントン叩いて和やかな雰囲気になる)
- Leon Russellは作曲家、アレンジャーとして大変重要なポジションにいたのではと考えているのですがどうでしょうか。Gary Lewis:「うんうん(うなずく)。Snuff Garrett は確かに凄腕のプロデューサだったけど、Leon Russell が全ての決定権を実は持っていたんだ。だから彼がボスだったんだ。彼はアレンジも全てしてくれたし、キーボードも全てひいてくれたし、ギターやトランペット、もうホントにたくさん色々なことをしてくれた。とってもキレるし賢い人だったね。」
- Playboysのレコーディングスタジオでの役割を教えて頂けますかGary Lewis:「ぼくらは自分らのパートは自分で演奏してたんだ。ベーシックトラックって分かるかい?リズムセクションとかそういったところなんだけど、そういった部分が自分たちの役割だった。全部それらベーシックトラックは自分らでやったんだ。それで難しい部分、例えばリードギターとかキーボードなんかは、外部からスペシャリストを連れてきて確かにやってもらったね。だから簡単な部分は自分らで、難しいところを他の人にやってもらっていたんだよ。ぼくらがやったのは簡単な方だよ(念を押される)。ギター2本、ベース、ドラム、キーボードが自分たちの部分で、ぼくらで賄えない部分を外部の人間に手伝ってもらったんだ。」
佐野:「それら外部の人間(レコーディングに参加してもらった人たち)を教えていただけますか」
Gary Lewis:「ん?名前を教えてほしいってことなのかな。」
佐野・Shinnie:「はい」
Gary Lewis:「ドラマー兼パーカッションでは、Hal Blain。Hal Blain 知ってるのかい?すごいねえ(佐野さんが頷いたため)。ギターは Tom Tedesco。キーボード(ピアノ)は 3 曲ぼくらの作曲も担当した Glen D. Hardin。(佐野さんガンガン頷ずく)」
Shinnie:「それら全員がスタジオにいたんですか?」
Gary Lewis:「そうそう。みんなで一緒に色々やってたんだ。」
- 誰が作曲を依頼したり、カバー曲を選んだのですか?Gary Lewis:「作曲の依頼っていうより、レコード会社に多くの曲が投稿されてきていたんだよ。その中でいいのないかなあって自分たち(Leon Russell、Snuff Garrett 含む)で探したり、もしくは自分たちで作曲したりって感じだった。カバー曲に関してはSnuff Garrettが全て選んでくれたね。何故なら彼が全ての売れ路線の曲とか、自分が歌った際にピッタシくるであろう曲を知っていたからね。」
- 初期では「Everybody Loves A Clown」が最高で、“We'll Work It Out”なんかアルバムに入っているだけじゃ勿体ない傑作だと思うのですが。Gary Lewis:「そうなんだ。あの曲好きなんだあ(へぇ~って感じ)。“We'll Work It Out”はアルバムに収録する際に演奏しただけで、それから一度もプレイしてないよ。アメリカじゃ誰にも気に入られていなかったみたいだね。でも君が好きでいてくれてとてもうれしいよ。アメリカじゃあ、シングルカットどころか、チャートにも入らなかったからね。」
佐野:「日本のビッグアーティスト山下達郎氏がこの曲のイントロを拝借して日本でヒット曲を作ったんですよ。」
Gary Lewis:「本当かい?そりゃうれしいなあ。そんな風に使われて誇りに思うよ(笑)。」(全員で笑う)
- 何故途中プロデューサがSnuff GarrettからDave Pellに変わったのですか。Gary Lewis:「ほう。いい質問だなあ(マジな顔で)。hmmmm.....。あれはホント失敗だった。実はぼくが Snuff Garrett をクビにしたんだ。それで Dave Pell を呼びよせたんだ。それで“Green Grass”をヒットさせたんだけど、ビルボード Top 10 に入っても Dave Pell の仕事のやり方が気に食わなかったから、再び Snuff Garrett を呼び戻したんだ。あれはホント失敗だったョ。Bad Mistake!!」
Q. Snuff Garret が戻ってからの“My Hearts Symphony”は Snuff Garret プロダクションの最高傑作だと思うのですが。
Gary Lewis:「うん、そうだね。ぼくもとても気に入っている曲のひとつだよ。“Count Me In”を作曲してくれた Glen D. Hardin が同じく書いてくれた曲だね。」
佐野:「何故この曲を昨日ライブでは演奏されなかったのですか。」
Gary Lewis:
「うーん、キーボードプレイヤーが自分のキーボードを持ってこなかったからだね。何故なら、ストリングスの部分を全部キーボードプレイヤー自身で弾くわけにはいかないだろ?もし、演奏するとなるとプログラムから全部借り物のキーボードに打ち込まないといけないからね(ストリングスの部分を鼻歌で説明してくれる)。しかもあのキーボードにはそのストリングスと同じ音が入っていなかったんだ。それで、ぼくのバンドのキーボードプレイヤーが“今回はこの曲ライブからお願いだから外してくれ”って言われて...。でもってライブで演奏するからにはアルバムと同じ音でやりたいしね。ぼくは、とてもそこに重点を置いているんだ。だから残念だったけど今回は演奏しなかったんだ。もしかしたら、今夜やるかも(笑)」
Q.プロデューサーに Koppelman=Rubin=Klein、作曲に Garry Bonner=Alan Gordon を起用し、アルバム「New Direction」をリリースし、それ以降はとても完成度の高い作品でしたが、これら人選について教えて下さい。
Gary Lewis:
「Garry Bonner=Alan Gordon が全て作曲はしたんだけど、プロデューサはぼくの友達(バンドのギタープレイヤー)が彼らのことを知っていて、彼らにやってもらったらどうかなってぼくに推薦してきたんだ。実際に彼らに会って MTG もして、じゃあやってもらおうかってことでプロデュースしてもらったんだ。ただ大きな問題があって、とても多くの楽器を詰めこんだから(40 人ものオーケストラ)ステージでやることが不可能だったんだ。だから今までの Gary Lewis & The Playboys とは、180 度違ったアルバムだね。仮にステージで演奏するとなったとしたら、40 人もの人間をぼくは雇わなければならないからね。そんなの絶対無理だろ?おまけにあのアルバムは全然売れなかった。とってもたくさんのお金を損したよ(顔を横に振りながら:サッパリって感じで)。あまりにも今まで Gary Lewis & The Playboys としてやってきたことと違ったせいかね、本当にサッパリ売れなかったよ。We've lost lots of money on that album......」
Q.後期では「Listen」が最高傑作だと思っておりますが、作曲を担当した Jack Nitzsche、プロデューサーの Gary Kleinの 人選についてお聞かせ下さい。それと何故このアルバムだけソロ名義なのですか?
(途中まで質問を読み上げたところで)
Gary Lewis:「ああ、あれね。ぼくも好きだけど、 あれも「New Direction」と全く同じで(スタッフも)結局色々オーケストラとか入れ過ぎたんだ。コレも全然売れなかったね。」
Shinnie:「Jack Nitzche もギターの方が連れてきたのですか。」
Gary Lewis:
「う、うん(曖昧)。Jack Nitzche はアレンジャーで、とても素晴しい仕事をしてくれたんだけど、結局これらの音に世間がついて来れなかったんだよね、Gary Lewis & The Playboys と 40人のオーケストラの音に。奇妙なチェロにたくさんの弦楽器...。もしヒットしたとしても結局ステージでは演奏できないし自分には全く利点がなかったね。(あまり多くを語りたくない様子)」
佐野:「プロデューサ Gary Klein について教えて頂けますか。」
Gary Lewis:「Gary Klein かい?彼は我々のプロデューサーで、「New Direction」のプロデューサの Koppelman=Rubin=Klein の Klein と同一人物だよ。」(あー!はいはい:VANDA 陣営)
佐野:
「この期間で音に変化が見られたのは、The Beach Boys「Pet Sounds」、The Beatles「Sgt. Peppers'~」などの影響でしょうか」
Gary Lewis:「そうそう、その通りだよ。でも自分たちはうまくいかなかったけどね。」
(ちょっとトーンが下がってきたので、この辺りの問題をスキップさせる)
Q.「Gary Lewis Now」で Snuff Garrett が三度プロデューサーに起用されましたが何故ですか。アレンジャーの Al Capps についても教えて下さい。
Gary Lewis:「結局うまくいってたものを何故変えるんだってことで、Snuff Garrett に落ち着いたんだよ。Al Capps はアレンジャーっていうかスタジオ・シンガーで“She's Just My Style”で低い声で「Don't you know that she's」ってパートあるだろ?(実際に歌ってくれる)あれが彼さ。アレンジャーとしてもがんばってくれたけど、彼は Leon Russell じゃあないからね。」
Shinnie:「Leon Russell の方が Better でしたか?」
Gary Lewis:「Better っていうか The Best だね。ぼくは彼が大好きだよ。ホント彼が Best だね。」
Q. 70 年代から現在までの活動を教えていただけますか。
Gary Lewis:「70 年代にディスコ・ミュージックってのが流行って、そいつがとても自分は気に入らなかったんだ。だから一旦音楽演奏からは遠ざかっていた。それで、カリフォルニア州の San Fernando Valley(Los Angels: North Hollywood)で楽器屋を購入したんだ。ギター売ったり、ドラム売ったり、時々レッスンもしてた。ギター教えたり、もちろんドラムも教えたりしてね。そうしてその店を 1982 年まで運営してた。そんなある日 Indiana 州の音楽エージェントから声がかかったんだ。我々ならあなたを世界各地でブッキングしてあげれるってね。60 年代の音楽はまた再認知され始めてるからって。じゃあ、やってみてよってことで始めたら、ブッキングがとても多くて今まで運営していた楽器屋に手が回らなくなったんだ。それでその楽器屋を売って『On The Road』アゲインって訳さ。だから 1982 年からこのようなライブ活動を結構頻繁に行っているんだ。」
Q. あなたが選ぶ Gary Lewis & The Playboys のベスト 10 曲を教えて下さい。
Gary Lewis:「うん(笑)!“This Diamond Ring”“Count Me In”“Save Your Heart For Me”“Everybody Loves A Clown”“She's Just My Style”“Sure Gonna Miss Her”“Green Grass”“My Heart Symphony”“You Don't Have To Paint Me A Picture”“Sealed With A Kiss”」
Q. あなたが選ぶ Gary Lewis & The Playboys のベストアルバムを教えて下さい。
Gary Lewis:「うーん難しいな。どれもヒットしたからなあ(笑)。でも選ぶとしたら「This Diamond Ring」と「Golden Greats」かな。「Golden Greats」緑のやつね。あれにはヒット曲がどれも載っているからね。でもどれもいいアルバムだよ。」
Q. どんなアーティストに影響を受けましたか。という質問を実は用意していたのですが、昨日ライブを拝見してとてもビートルズが好きだということが分かりました。ビートルズの中でもどの曲がお気に入りですか。
Gary Lewis:「Sure The Beatles!ほんとのこと打ち明けると 1963 年にビートルズに出会うまで実際自分が何をしたいのかとかサッパリ決まってなかったんだ。でもこのビートルズに出会って、ぼくがやりたいのはコレだ!、音楽だ!って確信したね。ドラムは自分が 5 歳の頃から叩いてからできたし、ギターも 16 歳から日弾いていたから演奏は問題なかったしね。それでぼくは学校の違うクラスのヤツらを集めて、最初のオリジナルの The Playboys を結成したんだ。そうしてバンドが始まったんだ。でもお気に入りのビートルズの曲かあ.....。難しいし、とても選べれないなあ。どれも素晴しいし。強いて選ぶなら“Strawberry Fields”“I'm The Walrus”かな。どれもホント素晴しい曲だね。あとロックンロールがぼくは好きだから、彼らがカバーした曲なんかも好きだね。“Bad Boys”“Slow Down”とか。あとカントリーも好きだね。カール・パーキンズとか。“Honey Don't”“Everybody's Trying To Be My Baby”。もうホント最高だったね。彼らのセンス、選曲、どれをとっても最高だった。あの頃も大好きだったんだけど、今ももっと好きだね。だってぼくが今こうして生活していられるのも彼らのおかげだからね。いっつもそういう風に思っているよ。」
佐野:「ライブで演奏されるビートルズのカバーはいつも同じなのですか?」
Gary Lewis:「今回はね。ミキサーとか PA とかと打ち合わせで決まっているからね。でも他でライブする時にはいつも変えているよ。I'm keeping them always fresh!(笑)」
Shinnie:「じゃあ、昨日ステージで落とされたカウベル(楽器)などは、いつも同じタイミングで落とされているんですか(笑)」
Gary Lewis:「(笑)前に君が言ったように、ステージにはちょびっとユーモアラスな部分を盛り込んでいるんだ」
(全員で笑う)
Q. Sweet Basil 139 と日本のお客さんについてのご感想をお聞かせください。
Gary Lewis:「Sweet Basil はとっても我々に親切で良くしてくれて最高だよ。日本のお客さんも立って拍手で歓迎してくれる人もいるしホントとても新鮮な気分だ。外国で演奏してこれだけ歓迎されるとホント新鮮で気分がいいね。あと内心ホッとしたよ。日本でぼくらの曲が発売されていたってことは知らなかったけど、Sweet Basil 139 に呼ばれたってことはある程度日本の人たちがぼくらを知っているってことでしょ?でもどの程度知っているのかなあって思っていたから。例えばステージで次この曲演るねってアナウンスするとウォー!とかイエーイ!とか反応が返ってくるでしょ?あれがとてもうれしかったね。
Q. 日本のファンへメッセージをください。
Gary Lewis:「本当日本の人たちはお互いのことを心から敬っていて素晴しい国だと思ったよ。また是非来日してライブしたいね。ただ言ってるだけじゃなくて、ホント心からそう思っているよ。」
佐野・Shinnie:
「今日は長い間インタビューに答えて頂いて本当にありがとうございました。」
Gary Lewis:「Sure, no problem!」(最高のスマイルで)
Mr. Gary Lewis at Sweet Basil 139
1999 20th March


おまけ佐野:「“This Diamond Ring”のシングルには 2 バージョン(下の写真:左右)の B/W があるのですがこれは何故ですか?」
Gary Lewis:「hmm......, 教えてあげよう。何故ならこちら(右の写真)の B/W は誰だか知らない人が作ったんだけど、これ売れたらこの人に印税が入ってしまうだろ?だから作りなおしたんだ(ニカッ)。それで“Tijuana Wedding”の方のクレジットを見ると、ぼくの名前とLeon Russell, T. Lesslieって書いてあるだろ?T.Lesslieとは、Snuff Garrettのことだよ。」
佐野・Shinnie:
「Ahhhhhh...........」








1999年3月29日月曜日

Little Anthony & The Imperials: I'm On The Outside/Goin' Out Of My Head (Collectable/2736)

 テディ・ランダッツォのワークスの柱であるリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズの 2 in 1 が、久々にリリースされた。この CD はかつて BGO から出ていた 2 in 1 と組み合わせが違い、セカンド・アルバム「Goin' Out Of My Head」は共通するものの、ファーストの「I'm On The Outside」がリリースされたのはこれが初(BGO はサードの「Payin' Our Dues」との組み合わせ)。このアルバムはテディが全曲をプロデュースしたわけではなく、また、まだテディの作曲/プロダクションも完成されてはいないが、ポップ・チャートで 15 位のヒットになった“I'm On The Outside”と山下達郎のカバーで有名になった“Make It Easy On Yourself”の 2 曲のテディのオリジナルは、そのメロディのクオリティ、ゴージャスなコーラスで我々を酔わせてくれる。そして「Goin' Out Of My Head」には、“Goin' Out Of My Head”“Hurt So Bad”“Take Me Back”の大ヒット 3 曲と“Never Again”などのテディのペンによる傑作が多く含まれ、収束しそうで収束しないで転調していくテディの華麗な曲作りが存分に発揮されているので必聴だ。ボーナス・トラックにはなぜか一気に 6 枚目のアルバムからのカットなど 3 曲。こちらは残念ながらテディのオリジナルは入らなかった。(佐野)
I'm on Outside Looking in / Goin Out of My Head


1999年3月28日日曜日

☆Edison Lighthouse: Love Grows The Best Of Edison Lighthouse (Repertoire/4803)

 ようやくエジソン・ライトハウスの音源がまとまった形でリリースされた。大ヒットの“Love Grows”と次の“She Works In A Woman's Way”はトニー・マコウレイが作曲/プロデュースしてトニー・バロウズがリード・ヴォーカルをとったもの。そして小ヒットになった“It's Up To You Petula”から“Find Me Mr.Zebedee”まではバタースコッチのアーノルド=マーティン=モロー(以下 AMM )が作曲/プロデュースしたもの(歌も歌っている可能性あり)。スタジオでは実態のないバンドのエジソン・ライトハウスだが、イギリスの優れたポップ・クリエイターの作り出した曲が中心とあって、ポップ・ファン、特にソフト・ロック・ファンにはたまらない魅力があるだろう。そして 4 曲未発表とクレジットされてはいるが、3 曲はトニー・バロウズ名義でシングルが出ている“Melanie Make Me Smile”と“Every Little Move She Makes”“In The Bad Bad Old Days”であり、もう 1 曲はスウェーデンのみのLP「Already」に入っていた“Take Me In Your Arms”、これらはすべて Varese Sarabande のトニー・バロウズの CD「Love Grows」にも入っていた音源だ。Unreleased とはドイツでのことなのか?“Every Little~”のクレジットにはマコウレイの名前がInstoneとか訳の分からないものに誤植されているし、解説もおざなり、あの Repertoire にしてはいいかげんなコンピなのでとてもガッカリ。結局期待していた「Already」のみの“That's Jilie All Over”“Don't You Know”“The Closer To You”(すべて AMM 制作)、日本だけでリリースされた LP「Edison Lighthouse Greatest Hits」のみの“Home Lovin' Man”“United We Stand”“Gimme Dat Ding”“My Baby Loves Lovin'”(前 3 曲はバロウズの未発表ソロアルバム用と思われる)、さらにバロウズのソロ・シングルで、マコウレイが作曲/プロデュースをした“The Hamming Song”“Recollection”というレア音源はすべて収録されなかった。これはどこか他のレーベルで徹底的にやってもらうしかない。ただこの CD も“Find~”の AB 面は M&M の CD にも入らなかった初 CD 化音源であり、さらに全 14 曲中、7 曲がマコウレイと、トニー・マコウレイの魅力を知るには最適の1枚と言えるだろう。(佐野)
The Best of Edison Lighthouse: Love Grows

1999年3月18日木曜日

☆Summer Wine: Presenting Our Fabulous Summer Wine!(EM/1004)

 このサマー・ワインとは、グレープフルーツのジョン・ペリー、ハーモニー・グラスなどもう語る必要もないトニー・リヴァース、それにマイク・ハースト、レイ・フェンウィックといったいずれも腕利きの実力者が集まって作ったユニットで、公式にはシングル 5 枚を残しただけで終わっている。この 10 曲に未発表の 6 曲、さらにその初期ヴァージョンを 6 曲加えたのが本作である。いきなりこのアルバムのハイライトである“Wasn't It Nice In New York City”から幕を開ける。洒落たメロディに芳醇なコーラス、ジョン・ペリーのリード・ヴォーカルも美しく、この曲が未発表だったなんて、今考えると信じられない。個人的に気に入った曲で追うと、ハースト=フェンウィックの美しくロマンティックなバラード“Sound Of Summer's Over”、ペリーの爽快な“Crying Eyes”、そして我々ハーモニー・ミュージックのファンなら一度聴いただけで虜になるであろうゴージャスなコーラスが素晴らしい“Shenandoh”がベスト。他は好きな曲を歌いたかったというサマー・ワインのコンセプトの通り、ストレートなカバーが多い。カバーではニール・セダカの“Living Right Next Door To An Angel”がベスト。原曲よりさらに厚いコーラス・ワークが心地良い。ラヴィン・スプーンフルの“She's Still A Mystery”もいい。ほかにもビーチ・ボーイズ・ヴァージョンの“Why Do Fools Fall In Love”や、ビーチ・ボーイズの渋いカバー“Take A Load Off Your Feet”もある。全体的にリラックスした雰囲気があり、ハーモニーの好きな人には是非おすすめしたい。(佐野)

1999年3月9日火曜日

☆Brian Wilson : Landylocked(Geritol/62042)

 先日紹介したブライアンとアンディ・パレイの 1996 年のセッション集「Andy Paley Sessions 1996」と基本的に内容は同じだが、決定的に違うのはその音質だ。前のものは音質は今一つだったが、この CD は文句なしのクオリティで、それまでよく聴こえなかったコーラス・ワークや、パーカッション、ギターのバッキングがひとつひとつはっきりと耳に届いてくる。デニスの「Bamboo」以来の衝撃だ。このブートでないと、このアルバムの魅力は十分伝わらないだろう。このアルバムといい、「Sweet Insanity」といい、ブライアンはボツになってしまったアルバムの方にいい曲が多く収められているのは、なんとも皮肉だ。ただ、この「Landylocked」(笑えるね)には前の CD の“Soul Searchin'”のブライアン・ヴァージョン、“Proud Mary”の初期 2 ヴァージョン、ボーナストラックのウィルソンズとの“Everything I Need”のデモ 2 ヴァージョンと“This Isn't Love”のデモは収録されていない。その代わり“Saturday Morning In The City”の初期ヴァージョンと、ビーチ・ボーイズの録音で、かつての“A Day In The Life Of The Tree”を思わせる初登場音源“Out In The Country”(71 年)、さらに音は悪いが 63 年の未発表曲“Bach Home”の歌い入りとバッキング・トラックの 2 テイクが入り、ボーナスは充実している。さらに“Soulful Old Man Sunshine”の別テイクも入っていたが、明確な違いは感じられなかった。なお、このブートは最近多くなって来た CDR である。(佐野)

☆Hollies: Evolution(EMI/4-99427-2)

 「Butterfly」と並ぶホリーズの 2 大傑作アルバムが、遂に紙ジャケで再発された。この EMI のリイシューが素晴らしいのは、モノとステレオの 2 つのアルバムが一つになったいわゆる 2 on 1 である点で、音圧を感じて迫力のあるモノ、クリアーな音の分解でモノでは聴こえにくいコーラスやバッキングが味わえるステレオと、どちらも楽しめるから素晴らしい。さて 67 年にリリースされたこの「Evolution」は、それまでのアルバムで最高のメロディのクオリティを持ち、力強いギターが前面にフィーチャーされた、見事なパワー・ポップ・アルバムに仕上がっている。“Have You Ever Loved Someday”“When Your Light Turned On”“The Games We Play”の爽快感は痛快無比だ。ポップなメロディと力強いハーモニーが、歯切れのいいギターのバッキングに乗った、ポップ・ミュージックの理想がここに結実している。ソフト・ロック・ファンもこのアルバムは絶対に「買い」である。またバロック調の“Ye Olde Toffee Shoppe”も愛らしいし、サイケ調のギターがフィーチャーされた緊張感のある“Then The Heartaches Begin”も魅力的だ。サウンドに広がりがあり、最も充実していたホリーズの姿が伝わってくるだろう。(佐野)
Evolution

1999年3月8日月曜日

☆The Spiders Meets The Tempters On Karaoke(テイチク)

 本 HP でずっと紹介しているテイチクからのフィリップス音源の GS のリイシューで、帯を 10 枚集めて応募するともらえるのがこの非売品の CD。内容はスパイダース 10 曲、テンプターズ 6 曲の都合 16 曲のバッキング・トラック、つまりカラオケが収められている。スパイダースには“エレクトリックおばあちゃん”や“真珠の涙”が入っているのが嬉しいが、“あの時君は若かった”“フリフリ”“バンバンバン”などの代表曲がないし、テンプターズでは“神様お願い”“エメラルドの伝説”が入っていない。これは、やはりオケは一部の曲にしか存在しないのか?でもこの CD に合わせて歌うとまさに GS になりきれるので、このシリーズを買い続けている人は是非応募して、この CD をもらっておこう。(佐野)
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