マーク・リンゼイはお馴染みポール・リビア&ザ・レイダースのリード・ヴォーカリストで、70年代はグループと平行してソロでも活動していた。そして本 CD は彼のソロのファースト・アルバム「Arizona」とセカンド・アルバム「Silverbird」とのカップリングである。セカンドの「Silverbird」は、R&B色の強いレイダースのサウンドとは打って変わって、ゴージャスなストリングスとポップなメロディによるソフト・ロックのアルバムに仕上がっていたので、これはお薦め出来内容だ。プロデュースはジェリー・フラー、アレンジャーにはアーティー・バトラーというポップの達人が担当、特にロジャー・ニコルスの "We've Only Just Begun" は絶品で、そのヴォーカルのコクとアレンジで、カーペンターズよりも出来がいい。またフラー=バトラー作の "Bookends" もリズミックでかつポップで心地良い。まだマーク・リンゼイのソロを知らない人は、騙されたと思って入手してみよう。まず気に入っていただけるはずだ。蛇足になるがリシューレーベルのCollectableはサンレイズのボックスの時は詳細なクレジットを付け心を入れ変えたかと思ったが、ここではまたプロデュース、アレンジはおろか作曲者のクレジットもなく、One Wayと並ぶ最低のリイシュー・レーベルに逆戻りしてしまった。(佐野)
1996年11月5日火曜日
1996年9月30日月曜日
☆Small Faces : Small Faces(Deram/844634)☆Small Faces:From The Beginning(Deram/844633)
Repertoireの充実したボックスで、もう残された音源はないと思っていたら、今回リイシューされた CD には初 CD 化のボーナス・トラックがなんと5曲ずつも入っていたのだから驚いた。
まずファースト・アルバムには "Shake"
"Come On Children" "What'cha Gonna Do About It"
"E Too D" のフランス盤の EP ヴァージョン、そして "Own Up Time" の40秒近く長いロング・ヴァージョンが収められた。聴いてびっくり、ミックスが違うとかいうようなものではなく、まったくの別テイクなのだ。 "Shake" "Come On~"
"What'cha~" はおそらく初期のテイクであり、かなり荒々しくラフな歌と演奏だ。しかしスモール・フェイセスのようなバンドは荒っぽい方が逆にパワーを感じて魅力的であり、特に "What'cha~" はフィード・バックのギター音を引っ張り、ギターのカッティングから歌が始まるという出だしからまったく違う展開で実にカッコ良かった。さらにインストながら最高にグルーヴィな "Own Up Time" はオルガン・ソロなどたっぷり楽しめるし、 "E Too D" はフェイド・アウトしないで終わるロング・ヴァージョンだった。セカンド・アルバムは "My Mind's Eye" "Hey Girl" のフランス EP ヴァージョン、 "Take This Hurt Off
Me" "Baby Don't You Do It" の別ヴァージョン、そして "What'cha Gonna Do About It" の
BBC での録音が収められた。 BBC はもちろんオフィシャルでは初登場、他の4曲はファーストのボーナス曲より違いは目立たないが、これも良く聴くとミックス違いではなく歌のアドリブの部分が違うなどの別テイクだった。この両 CD は絶対、買いだ。
1996年9月10日火曜日
☆Various:「Traces」(東芝EMI/8973)☆Various:「Feelin' Groovy」(WEA/774)☆Various:「Windy」(WEA/775)
ソフト・ロックのコンピレーションが8月から9月にかけて一気に発売された。まずは東芝EMIからは「Traces」(東芝EMI/8973)。Classics IV の "Spooky" "Stormy"
"Traces" の3大ヒットを始め "Midnight"
などのブルージーな名曲6曲を核に、ラヴ・ジェネレイションの3曲やレターメンの3曲、そしてこのコンピにどうしても入れたかったゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの "My Hearts Symphony" などの輝くばかりにポップな3曲も収録した。
レアな音源としてはClassics IV の前身クラシックスのフォー・シーズンズそのものといってもいい "Pollyanna" と、数あるビーチ・ボーイズのカバーの中でも最高クラス、ガレージながらタイトな歌と演奏で突っ走るイクセプションズの "Girl From New York City" が入り、これが目玉。
そしてワーナーからは2枚、「Feelin'
Groovy」(WEA/774)と「Windy」(WEA/775)が同時にリリースされた。
担当の本誌でおなじみの宮治氏の「あくまでも曲の良さ中心で選んだ」という言葉のとおり、有名曲も多いが、その曲のグレードの高さに加え、ほとんど曲間を空けない編集の巧みさで、流れるように CD 1枚が一挙に聴けてしまう。
実に気持ち良いコンピだ。
アソシエイションとハーパース・ビザールを核に構成されているが、この CD で初めてリイシューされたものも多数含まれている。
ホリー・マッケラルの
"Bitter Honey" (作曲/ロジャー・ニコルス)、トーケンズのソフト・ロックの名曲 "Portrait Of My Love" など2曲、ディック&ディー・ディーの "Make Up Before We Break Up" (作曲・プロデュース/ゲイリー・ゼクリー)、バーバンク・スタッフの幻のトム・ノースコットのシングル2曲、バリー・マン作のヴォーグスの "She Is Today" 、そしてこのコンピのハイライトの1曲、ボナー=ゴードン作のハーパース・ビザールの "Small Talk" 他アルバム未収録シングル3曲がそれだ。
何しろ初めの選曲の際にリスト・アップしたものが次々と不許可になる中、いい内容のものが収められたと思う。
最後に選んだディノ・デジ&ビリーの
"Kitty Doyle" やネオン・フィルハーモニックの "To Be
Continued" など、実にしっくり収まっている。
「Soft Rock A to Z」と、これらのソフト・ロック・コレクション3枚、みな文を書かせていただいたが、メロディとハーモニー中心のこれらの音楽にもっともっと注目が集まって欲しいものだ。
(佐野)
1996年8月28日水曜日
ビーチ・ボーイズ情報コーナー(未だ発売されぬ「Pet Sounds Sessions Box」を含め大量紹介あり)
ここには初のトゥルー・ステレオでアルバム全曲と、 "Wouldn't It Be Nice" "I Just Wasn't Made For These Times" のヴォーカル・オンリー、間奏がサックスの "God Only Knows" 、オリジナル・スピードの "Caroline No" などが収められ、サンプルとしてボックスのハイライト部分を見事に切り取っていた。一日も早い正規リリースを祈るのみだ。続いてあの「Television's Greatest Hits Voleme4」(TVT/1600)に遂に "Karen" (64年)が収録された。今まではブートでしか聴けなかったが、音質が格段にアップ、フェイド・アウトせずに完奏しているのが嬉しい。アップテンポの爽やかなTVテーマ・ソングである。ライノの4枚組 CD ボックス「Cowabunga!The Surf Box」(Rhino/R2-72418)に63年10月のハリウッド・ボウルのコンサート会場でのライブ "KFWB Jingles" が収録されている。地元のFM局のジングルを10秒ほどアカペラで歌っただけだが、我々ビーチ・ボーイズ・ファンは見逃せない。ボックス自体の内容はRhinoなので文句なし。そうそう、ビーチ・ボーイズの新譜として、「Stars And Stripes Vol.1」(River North/51416-1205)がリリースされていた。これは往年のビーチ・ボーイズのナンバーをカントリー・シンガー達がリードを取り、ビーチ・ボーイズがバック・コーラスをしたもので、この組み合わせでのナッシュヴィルでのコンサートが人気だったのでスタジオ録音化したのだそうだ。安易な企画にまったく工夫のないアレンジ、こんなのを出されるとファンとしてはただもうガッカリ。マイク・ラブ主導で作られたものだが、ブライアンもプロデューサーとしてクレジットされており、現在のビーチ・ボーイズには過度の幻想を抱いていてはダメなようだ。ビーチ・ボーイズがコーラスを担当したのがJeff Foxworthyなる人物のアルバム「Crank It Up」(Warner Bros./46361)収録の "Howdy From Maui" 。この人物おそらくコメディアンで、自分自身は歌わずゲストが歌い、自分は全て語り。インスト部分で "Wipe Out" や "Diamond Head" のフレーズもちりばめたサーフィン・スタイルのこの曲のブリッジのコーラスをビーチ・ボーイズが歌っている。珍しい曲が入っている訳ではないが、東芝EMIより12月にリリースされた2枚組の「The Best Of The Beach Boys」(東芝EMI/50107)はビギナーに最適のベスト盤になった。というのもキャピトルだけではなくワーナー、カリブ時代まで含んだベストだからだ。ブルース・ジョンストンの "Disney Girls" "Tears In The Morning" 、デニス・ウィルソンの名曲 "Forever" からアル・ジャーディンの "Lady Lynda" まで各メンバーの書いた最高傑作が入り、 "Surf's Up" や "Cottonfields" と、この選曲には私のようなコアなファンまで嬉しくなってしまうほどである。2枚組という入門用ベスト盤としては、間違いなく今までで最高の内容だ。
ソロ関係のリイシューではブライアン・ウィルソンの「I Just Wasn't For Made These Times」からのカット "Do It Again" の CD シングル(MCA/33370)には "This Song Wants To Sleep With You Tonight" というブライアンとアンディ・ペレイの共作によるまったくの新曲が収められていた。プロデュースがドン・ウォズ&ブライアンなので、この当時の録音なのだが、セルフ・カバー以外にこうした新曲も録音していたとなると、まだまだ他に多くが隠れていそうだ。「Brian Wilson」以来続くサウンドとメロディの佳曲で、この気品はブライアン抜きのビーチ・ボーイズの作品ではなかなか感じられないものだ。元ゴーゴーズのベリンダ・カーライルの「A Woman & A Man」(東芝EMI/50002)収録の "California" ではブライアンがバック・コーラスを担当、ロサンゼルス大地震の暗い内容の歌に、的確なコーラスをつけていた。別テイクやカラオケなど未発表の音源が数多く入ったジャン&ディーンの2枚組ベスト「All The Hits-From Surf City To Drag City」(EMI/8-53730-2)収録の "When Summer Comes" はブライアンとジャンが書いた "The New Girl In School" (元は "Gonna Hustle You" )の歌詞が違うヴァージョンで、今回が初登場。デビッド・キャシディのベストもの「When I'm A Rock'n' Roll Star.The David Cassidy Collection」(Razor & Tie/2117)にデビッドとブライアン・ウィルソンの共作 "Cruise To Harlem" が収録された。凡庸なロック・ナンバーなので、コレクティングをしている人向け。しかしこの CD 、デビッドとブルース・ジョンストンが共同プロデュースした75年の「The Higher They Climb,The Harder They Fall」と、76年の「Home Is There The Heart Is」から中心にセレクションしており、 "Darlin'" や "I Write The Songs" も入っているので、好みはあるものの、持っていたい1枚だ。さらに枝葉末節なものだが、リジェンダリー・マスクド・サーファーズのクレジットでリリースされた「Jan & Dean's Golden Summer Days」(Varese Sarabande/5727)に収録された "Sidewalk Surfin'" は、マイク・ラブとディーン・トーレンスのデュオ。グループ名を見ると期待してしまうが、かつてジャン&ディーンの名義で出したリレコものの単なるリイシューなのでだまされないように。 "Vegetables" のクレジットにブライアンの名前があるが、これはかつてのジャン&ディーンのテイクをそのまま入れただけなので、これも「引っかけ」だ。(佐野)
1996年8月27日火曜日
☆Tony Burrows : The Voice Of Tony Burrows (Varese Sarabande/5725)
信じられない!の一言を本 CD に送りたい。
というのもかつて本誌13号で取り上げたトニー・バロウズの歌った曲だけを集めたコンピレーションが本当に出てしまったからだ。なにしろトニー・バロウズはセッション・ヴォーカリストであり、歌った曲はヒットしても本人の名前で出したシングルではほとんどヒットせず、一般的にはほぼ無名に近いヴォーカリストだったからだ。
本誌の特集以降、レコード店での CD のキャプションにこの「トニー・バロウズ」の名前を見るようになったが、ソフト・ロックなどというムーブメントもないアメリカで、このようなコンピが出るとは...。そういえばこの会社の社長は「Melodies Goes On」のシリーズの大ファンだったそうで、日本からの影響と言う事も考えられる。さて、この CD の収録曲で驚かされたのはまずエジソン・ライトハウスのスウェーデン・オンリーのアルバム「Already」(Bell/92556)にあの "Baby Take Me In Your Arms" が入っていたという事だ。それもトニー・マコウレイのプロデュースだ。ビートに乗って出来はいいが、これはサウンドにヴォリュームがあるジェファーソンの勝ち。また当時の日本盤のベスト・アルバム「Greatest Hits」に入っていた詳細不明の "In The Bad
Bad Old Days" (Bell/45116)が実はトニー・バロウズのソロ名義のシングルという事も分かった。つまり総合してみるとこの日本盤のベストのみに収録されていた "Home Lovin' Man" や完全なソロの
"United We Stand" を含め、これらはトニー・マコウレイのもとで製作され結局ボツになったトニー・バロウズの幻のソロ・アルバム用の曲だったのだろう。元々実態のないエジソン・ライトハウスのコンピに都合よくこれらの音源が使われたのではないか。この他では74年のTouch名義のシングル、75年のDomino名義のシングル、76年のトニー・バロウズ名義とMagic Featuring Tony Burrows名義のシングルが初登場、この内頭から3枚はアーノルド=マーティン=モローの作品なのも興味深い。どれもいい曲なのだが、ややキャッチーさに欠け、みなヒットにはなっていない。(佐野)
☆Bubblegum Classics Volume 3(Varese Sarabande/5719)☆Soulful Pop(Varese Sarabande/5718)
今最も注目すべきリシュー・レーベルはなんといってもこのヴァレッセ・サラバンデである。先のトニー・バロウズといい、最も日本的なソフト・ロックの傾向を分かっているレーベルだからだ。まず、好評の「バブルガム・クラシックス」のシリーズ第3弾だが、ついにソルト・ウォーター・タフィーの "Finders Keepers" が収められた。またカウシルズの
"We Can Fly" も。かつて「Melodies Goes On」のシリーズで選曲したものばかりだ。そしてファン&ゲームス、クリークなどバブルガムに近い線の曲を選んでいるものの、ソフト・ロック系のアーティストを選んでくる。また新しいコンピ「ソウルフル・ポップ」ではトニー・マコウレイ作/プロデュースの曲を4曲選び、その内ジョニー・ジョンソン&ザ・バンドワゴンの "Blame It On The Pony Express" は、音楽之友社の「ソフト・ロック」のトニー・マコウレイ・インタビューの中で、エジソン・ライトハウスの "Love Grows" と同傾向の曲として引き合いに出しているので要チェックだ。この曲とファンタスティックスの "Something Old,Something New" はマコウレイ作の全英トップ10ヒットなので、お手元のリストに書き加えて欲しい。他にもラブ・アフェアー、ジェイ&ザ・テクニクス、ファウンデーションズとこれもまた「ソフト・ロック」の中で取り上げたアーティストばかり。うーむ、さすがだ。(佐野)
1996年8月20日火曜日
☆Rip Chords : Hey Little Cobra(Sundazed/6098)☆Rip Chords : Three Window Coupe(Sundazed/6099)
ヴァレッセ・サラバンデと並んで最注目のサンデイズド、遂にリップ・コーズをほぼコンプリートにリイシューしてくれた。VANDAの読者の方ならもう言うまでもないが、リップ・コーズの大半の曲はテリー・メルチャーとブルース・ジョンストンを中心に作り上げたもので、バッキングはハル・ブレイン、レオン・ラッセル、グレン・キャンベルなど腕利きのスタジオ・ミュージシャンが担当している。サーフィン&ホット・ロッド系のヴォーカルものはブライアン・ウィルソンかスローン=ヴァリがからまないと往々にしてなんともチャチなものになるが、このブルース&テリ?も彼らと並んで安心出来る実力派のミュージシャンなので、十分な出来だ。なにしろ演奏とコーラスがしっかり構築されている。それぞれシングル・オンリーの曲などボーナス・トラックが3曲ずつ入り、タイトル的にはブルース&テリ?の全音源が収録されたが、1曲だけ別ヴァージョンがあった。それは映画「A Swingin' Summer」のサントラに収録されていた "Red Hot Roadster" で、解説では疑似歓声や手拍子を除いたステレオ・ヴァージョンとあるが、これは歌のメロディ自体が違う完全な別テイクである。どちらもお持ちの方は是非聴き比べていただきたい。(佐野)
1996年7月30日火曜日
☆Various:「Wax Board And Woodie」(Varese Sarabande/5726)
Sundazedと並ぶリイシューの星、Varese Sarabandeのサーフィン&ホット・ロッドのコンピレーションだが、さすがに貴重な音源を収めてくれている。それはまずファンタスティック・バギーズでファンをうならせたフィル・スローンとスティーヴ・ヴァリのコンビが65年にウィリー&ザ・ホイールスの名前で出した "Skateboard Craze" だ。リップ・コーズのようなサウンドとコーラスを持ち親しみやすい。そしてもうひとつ、何よりも貴重なのがファンタスティック・バギーズの64年のデモ "Dragon Lady" である。 "Skateboard Craze" の習作と書かれているが、メロディ的にはAメロが似ているというだけで、ブリッジ以降は "Dragon Lady" の方がキャッチーで魅力的だ。この1曲のために是非持っていたい1枚だ。(佐野)
1996年7月1日月曜日
Tony Macaulay インタビュー
トニー・マコウレイ・インタビュー
ブリティッシュ・ポップ最高の作曲家兼プロデューサーであるトニー・マコウレイ。彼は1960年代後半から1970年代になんと全英20ヒットを38曲も書いた。活躍時期は短いので比較では適当ではないがあのビートルズでも27曲なのだから、どれだけトニー・マコウレイの業績が凄いものか分かるだろう。ぶっちぎりのトップである。しかしブリティッシュは自作自演のバンドの集合体なので、トニー・マコウレイという傑出したミュージシャンにまったくスポットが当たらない。かつて「Soft Rock A to Z」用に録ったこのトニー・マコウレイへのインタビューは、日本はもちろん、米英でも読んだ事のない貴重なものだ。
このインタビューの時ではまだトニー・マコウレイのワークスで未聴の曲が多く、質問の内容も唐突にマーマレードにいくなど満足できるものではないが、トニー・マコウレイのロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クック評は、同時に掲載したロジャー・グリーナウェイによるトニー・マコウレイ評を合わせてみると、とても興味深い。この2人の貴重なインタビューは音楽ファンなら必ず読んでおくべき、貴重な資料である。
(インタビューアー:佐野邦彦)
Q:あなたはPyeレコードのプロデューサーとしてデビューされていますが、Pyeと契約したきっかけは何だったんですか?
トニー・マコウレイ:当時僕はプロデューサーの家を訪ねてレコードをかけたりする「ブラガー」(しつこい宣伝マン)と呼ばれる宣伝マンで、この仕事が大嫌いだった。そこへPyeがプロデューサーを捜しているという話が入ってきた。当時、主だったレコードは4社だけで、各社4人程の専属プロデューサーがいるくらいだった。そんな時代に、僕はPyeと10年間の契約を交わしたんだ。10年目出には2500ポンドもらえるというのが条件だったが、3年経ってもヒットがなければクビということだった。最初の半年は何も起こらなくて、出したレコードはどれもポシャッた。他人の曲ではヒットを飛ばせないと思った僕は、21~22歳の頃に書き溜めてあった自分の曲から1曲を取り出してレコーディングしてみたら、それが全英No.1ヒットになったんだ。それが「Baby Now That I’ve Found You」(ファウンデーションズ:Foundations)がそうだ。その後も自分の曲から6曲ほど取り出したんだけど、どれもヒットしたよ。
Q:Pyeでは多くのヒットを作られましたが、それぞれどんな狙いで作ったのですか。
トニー・マコウレイ:曲を書くということはたやすいことじゃない。次に書く曲が前の曲を同じスタイルになるとは限らないからね。グループの方からは次はどうするんだと聞かされるけど、次の曲は彼らのためのものでなく、別のグループにレコーディングさせることだってある。あの頃の優れたソングライターはみなプロデューサーで、僕はそんな連中に一緒に曲を作っていた。みんないい曲を書こうと必死だったよ。毎週スタジオで誰かと一緒にいて、朝から濃いコーヒーを飲みながら一日中かけて曲を書きあげたものさ。素晴らしい曲ができることもあれば、クズしかできないこともあった。まるで曲製造工場のようだったね。
Q:Pyeの後、Bellでエジソン・ライトハウス(Edison Lighthouse)を担当し「Love Grows」(恋のほのお)で大成功を収めましたが、どんな印象でしたか。
「Love Grows」は僕がそれまで作ったどの曲にも当てはまらないバブルガムっぽい曲で、あまり好きではなかったから、それ以上その路線は続けたくなかったんだ。もっと黒っぽい、ソウルフルな音楽をやりたかった。トニー(バロウズ)とは、バラードから、もう少し洗練されたアルバムを作りたかったけれど、レコード会社側はエジソン・ライトハウスといったグループと仕事をさせたがっていて、僕はもうできないと思ったんだ。
Q:以降、アメリカのアーティストを多くて手がけていきますね。フィフス・ディメンションもそうですが…
トニー・マコウレイ:フィフス・ディメンション(Fifth Dimension)は60年代から70年代にかけてのビッグ・バンドだった。「Last Night I Didn’t Get
To Sleep At All」(全米8位)は、僕が日本に行って帝国ホテルに泊まった時、時差ボケがあまりにひどくて夜まったく眠れなくて書いた曲なんだ。
トニー・マコウレイ:あの曲はある日の午後にサッとできたんだ。マーマレードはイギリスで多くのヒットを飛ばしたけど、メンバーが入れ替わったりしてもう振るわなくなっていた。僕は本当は彼らはなく、フランキー・ヴァリのようなファルセットで歌えるシンガーを求めていたんだ。ともかくあのアルバムは、レコーディングを始めた途端にチャートに入った。アメリカではまだ発売されてなかったのだよ。フランキー・ヴァリは、彼の方から曲が欲しいと言ってきたけど、タイミングが悪かった。もし当時大人気だった彼とレコーディングしていたと思うと残念だね。もっとインターナショナルなヒットが出ていただろうね。
Q:そしてデビッド・ソウル(David
Soul)で米英共にナンバー1ヒットを飛ばしましたね。
トニー・マコウレイ:彼は『刑事スタスキー&ハッチ』に出ていた金髪のシンガーだけど、彼のレコードは1500万枚売れたんだ。「Don’t Give Up On Us」「Silver Lady」は1位になって、年間ブリティッシュ・アーティスト賞も受賞したよ。彼とはとても仲が良かった。マーク・ブラザースなんかを紹介してくれたりね。
Q:他に印象に残るアーティストは?
トニー・マコウレイ:グラディス・ナイト&ザ・ピップスだ。彼らはヒットも飛ばしたけど、素晴らしいアーティストだった。
Q:続いて曲作りについてもお聞きします。あなたの曲は、頭に最もキャッチーなメロディを持ってくる場合が多いですが、作曲をする上でのポイントを教えて下さい。
トニー・マコウレイ:僕の曲で一番大事なのはフックだ。フックがキャッチーな部分なんだ。それがないとダメだと思う。すぐに思い浮かぶ場合もあるし、何か月もかかることもある。ほんの数秒のいいサビを作って、その回りにヴァースやブリッジを足していくんだ。それから歌詞をつける。当時の曲のほとんどは1、2日で完成していた。後に米国のトップ・アーティストとやるようになってからは1週間かかったけどね。
Q:サウンド的にベース、ドラムスなどのリズム・セクションを大きくミックスし、その上に大きくストリングスを被せてヴォリュームたっぷりのサウンドを作り出していますが、この「マコウレイ・サウンド」はどのように作られていったのですか。
トニー・マコウレイ:僕はタムラ・モータウンに凄く影響を受けているんだ。彼らのドラムやベースのレコーディング方法を学んだよ。モータウンはドラムのフロントヘッドを取って、そこに毛布を押し込んだり、スネアドラムのスキンにタバコの空き箱をテープで貼ってドラム・サウンドをよりデッドにしていた。また、ベースはアンプを使わずダイレクト・インジェクションで録って直接デスクに送っていた。いろいろ工夫して、僕もアメリカっぽいサウンドを出すリズム・セクションにしていたんだ。またロック・アルバムには独特のストリングス・サウンドを使った。8本のヴァイオリンを使ったんだけど、弓で弾くごとに1オクターブ間隔の音を交互に出すととてもリズミックなサウンドが出せた。かなり後になるまでライヴによる同録で、今みたいな楽器ごとの別録りはしなかった。そうすると、曲がつまらなくなってしまうから、僕が作った大作のほとんどはオーケストラとバッキング・シンガーを入れて、みんな同時に録ったんだ。その方がずっといい雰囲気が得られたよ。唯一被せたのはリード・ヴォーカルとギターくらいだったかな。
Q:米国のポップ・ミュージックでは同じスタジオ・ミュージシャンでほとんど固定されていましたが、あなたのバッキング・メンバーはどうだったんでしょうか。
トニー・マコウレイ:僕の場合はスティーリー・ダン、エルヴィス・プレスリーのリズム・セクション、スティーヴィー・ワンダーのバッキング・シンガー、TOTOといった連中を使っていた。スティー・ダンはよく使ったよ。リズム・セクションはすべてアメリカで録って、それをイギリスへ持ち帰ってオーケストラを加えたこともあった。問題もいろいろあったけど面白いやり方だった。
Q;あなたが影響を受けた、あるいは好きな作曲家、プロデューサーは誰でしたか。
トニー・マコウレイ:モータウンのヒットをたくさん飛ばしたホランド=ドジャー=ホランドにはかなり影響を受けたね。あとはバート・バカラックかな。後にジミー・ウェッブやグレン・キャンベルにも影響を受けた。
Q:あなたと同時期に活躍したロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クックや、トニー・ハッチについてはどうですか。
トニー・マコウレイ:素晴らしいよ。彼ら(ロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クック:Roger Greenaway=Roger Cook)は素晴らしいシンガーでありミュージシャンでもあった。一緒に曲を書いた時、バッキング・トラックでよく歌ってくれたよ。二人とも別々に作曲していたけど、たまに一緒に書くこともあった。いいアーティストに恵まれていたね。トニー・ハッチ(Tony Hatch)からもかなり影響を受けた。人間的には決して好きじゃなかったかどね。嫌な奴だった。彼の曲はとてもメロディアスでビーチ・ボーイズにも影響を与えていたけど、彼のお気に入りのリズムがあって、そればかり使うんでどれも同じに聴こえてきた。すごく型にはまっていたんだ。僕の曲にもそういうところがあったけどね。僕自身ヒットを飛ばすようになると、もう彼の曲には魅力を感じなくなってしまった。
Q:ご自分の仕事の中でベストだと思う曲を教えてください。
トニー・マコウレイ:僕が好きなのは「Don’t Give Up On Us」だね。最初の妻のために書いた曲だった。好きだったけどまさかヒットするとは思わなかった。すごく静かな曲なのにやたら売れた。
Q:現在は小説家として活躍中(『戦慄の候補者(Enemy
Of The State』新潮文庫)だそうですが、きっかけは?
トニー・マコウレイ:うちは小説一家だったのでいうかは書こうと思っていたけど、45歳になるまで書きたいことがなかったんだ。『戦慄の候補者』は処女作なんだけど、実はその前に日本を舞台にした本も書いてたんだ。小説を書くのは楽しいよ。自分の思い通りになるからね。自分がパブリシャーでありエージェントでもある。英国では『Brutal Truth』という新刊が7月に出たし、もうすぐ新作も完成するよ。
Q:もう作曲活動はされていないんですか。
トニー・マコウレイ:今、「Hollywood Confidential」という新しいミュージカルを手がけていて、今年の暮れにアメリカで上演されるんだ。音楽と脚本と歌詞を書いた。ポップ・ミュージックはもうほとんどやっていないね。
(1996年7月にトニー・マコウレイ邸へ電話インタビュー)
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