Sundazedと並ぶリイシューの星、Varese Sarabandeのサーフィン&ホット・ロッドのコンピレーションだが、さすがに貴重な音源を収めてくれている。それはまずファンタスティック・バギーズでファンをうならせたフィル・スローンとスティーヴ・ヴァリのコンビが65年にウィリー&ザ・ホイールスの名前で出した "Skateboard Craze" だ。リップ・コーズのようなサウンドとコーラスを持ち親しみやすい。そしてもうひとつ、何よりも貴重なのがファンタスティック・バギーズの64年のデモ "Dragon Lady" である。 "Skateboard Craze" の習作と書かれているが、メロディ的にはAメロが似ているというだけで、ブリッジ以降は "Dragon Lady" の方がキャッチーで魅力的だ。この1曲のために是非持っていたい1枚だ。(佐野)
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1996年7月30日火曜日
1996年7月1日月曜日
Tony Macaulay インタビュー
トニー・マコウレイ・インタビュー
ブリティッシュ・ポップ最高の作曲家兼プロデューサーであるトニー・マコウレイ。彼は1960年代後半から1970年代になんと全英20ヒットを38曲も書いた。活躍時期は短いので比較では適当ではないがあのビートルズでも27曲なのだから、どれだけトニー・マコウレイの業績が凄いものか分かるだろう。ぶっちぎりのトップである。しかしブリティッシュは自作自演のバンドの集合体なので、トニー・マコウレイという傑出したミュージシャンにまったくスポットが当たらない。かつて「Soft Rock A to Z」用に録ったこのトニー・マコウレイへのインタビューは、日本はもちろん、米英でも読んだ事のない貴重なものだ。
このインタビューの時ではまだトニー・マコウレイのワークスで未聴の曲が多く、質問の内容も唐突にマーマレードにいくなど満足できるものではないが、トニー・マコウレイのロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クック評は、同時に掲載したロジャー・グリーナウェイによるトニー・マコウレイ評を合わせてみると、とても興味深い。この2人の貴重なインタビューは音楽ファンなら必ず読んでおくべき、貴重な資料である。
(インタビューアー:佐野邦彦)
Q:あなたはPyeレコードのプロデューサーとしてデビューされていますが、Pyeと契約したきっかけは何だったんですか?
トニー・マコウレイ:当時僕はプロデューサーの家を訪ねてレコードをかけたりする「ブラガー」(しつこい宣伝マン)と呼ばれる宣伝マンで、この仕事が大嫌いだった。そこへPyeがプロデューサーを捜しているという話が入ってきた。当時、主だったレコードは4社だけで、各社4人程の専属プロデューサーがいるくらいだった。そんな時代に、僕はPyeと10年間の契約を交わしたんだ。10年目出には2500ポンドもらえるというのが条件だったが、3年経ってもヒットがなければクビということだった。最初の半年は何も起こらなくて、出したレコードはどれもポシャッた。他人の曲ではヒットを飛ばせないと思った僕は、21~22歳の頃に書き溜めてあった自分の曲から1曲を取り出してレコーディングしてみたら、それが全英No.1ヒットになったんだ。それが「Baby Now That I’ve Found You」(ファウンデーションズ:Foundations)がそうだ。その後も自分の曲から6曲ほど取り出したんだけど、どれもヒットしたよ。
Q:Pyeでは多くのヒットを作られましたが、それぞれどんな狙いで作ったのですか。
トニー・マコウレイ:曲を書くということはたやすいことじゃない。次に書く曲が前の曲を同じスタイルになるとは限らないからね。グループの方からは次はどうするんだと聞かされるけど、次の曲は彼らのためのものでなく、別のグループにレコーディングさせることだってある。あの頃の優れたソングライターはみなプロデューサーで、僕はそんな連中に一緒に曲を作っていた。みんないい曲を書こうと必死だったよ。毎週スタジオで誰かと一緒にいて、朝から濃いコーヒーを飲みながら一日中かけて曲を書きあげたものさ。素晴らしい曲ができることもあれば、クズしかできないこともあった。まるで曲製造工場のようだったね。
Q:Pyeの後、Bellでエジソン・ライトハウス(Edison Lighthouse)を担当し「Love Grows」(恋のほのお)で大成功を収めましたが、どんな印象でしたか。
「Love Grows」は僕がそれまで作ったどの曲にも当てはまらないバブルガムっぽい曲で、あまり好きではなかったから、それ以上その路線は続けたくなかったんだ。もっと黒っぽい、ソウルフルな音楽をやりたかった。トニー(バロウズ)とは、バラードから、もう少し洗練されたアルバムを作りたかったけれど、レコード会社側はエジソン・ライトハウスといったグループと仕事をさせたがっていて、僕はもうできないと思ったんだ。
Q:以降、アメリカのアーティストを多くて手がけていきますね。フィフス・ディメンションもそうですが…
トニー・マコウレイ:フィフス・ディメンション(Fifth Dimension)は60年代から70年代にかけてのビッグ・バンドだった。「Last Night I Didn’t Get
To Sleep At All」(全米8位)は、僕が日本に行って帝国ホテルに泊まった時、時差ボケがあまりにひどくて夜まったく眠れなくて書いた曲なんだ。
トニー・マコウレイ:あの曲はある日の午後にサッとできたんだ。マーマレードはイギリスで多くのヒットを飛ばしたけど、メンバーが入れ替わったりしてもう振るわなくなっていた。僕は本当は彼らはなく、フランキー・ヴァリのようなファルセットで歌えるシンガーを求めていたんだ。ともかくあのアルバムは、レコーディングを始めた途端にチャートに入った。アメリカではまだ発売されてなかったのだよ。フランキー・ヴァリは、彼の方から曲が欲しいと言ってきたけど、タイミングが悪かった。もし当時大人気だった彼とレコーディングしていたと思うと残念だね。もっとインターナショナルなヒットが出ていただろうね。
Q:そしてデビッド・ソウル(David
Soul)で米英共にナンバー1ヒットを飛ばしましたね。
トニー・マコウレイ:彼は『刑事スタスキー&ハッチ』に出ていた金髪のシンガーだけど、彼のレコードは1500万枚売れたんだ。「Don’t Give Up On Us」「Silver Lady」は1位になって、年間ブリティッシュ・アーティスト賞も受賞したよ。彼とはとても仲が良かった。マーク・ブラザースなんかを紹介してくれたりね。
Q:他に印象に残るアーティストは?
トニー・マコウレイ:グラディス・ナイト&ザ・ピップスだ。彼らはヒットも飛ばしたけど、素晴らしいアーティストだった。
Q:続いて曲作りについてもお聞きします。あなたの曲は、頭に最もキャッチーなメロディを持ってくる場合が多いですが、作曲をする上でのポイントを教えて下さい。
トニー・マコウレイ:僕の曲で一番大事なのはフックだ。フックがキャッチーな部分なんだ。それがないとダメだと思う。すぐに思い浮かぶ場合もあるし、何か月もかかることもある。ほんの数秒のいいサビを作って、その回りにヴァースやブリッジを足していくんだ。それから歌詞をつける。当時の曲のほとんどは1、2日で完成していた。後に米国のトップ・アーティストとやるようになってからは1週間かかったけどね。
Q:サウンド的にベース、ドラムスなどのリズム・セクションを大きくミックスし、その上に大きくストリングスを被せてヴォリュームたっぷりのサウンドを作り出していますが、この「マコウレイ・サウンド」はどのように作られていったのですか。
トニー・マコウレイ:僕はタムラ・モータウンに凄く影響を受けているんだ。彼らのドラムやベースのレコーディング方法を学んだよ。モータウンはドラムのフロントヘッドを取って、そこに毛布を押し込んだり、スネアドラムのスキンにタバコの空き箱をテープで貼ってドラム・サウンドをよりデッドにしていた。また、ベースはアンプを使わずダイレクト・インジェクションで録って直接デスクに送っていた。いろいろ工夫して、僕もアメリカっぽいサウンドを出すリズム・セクションにしていたんだ。またロック・アルバムには独特のストリングス・サウンドを使った。8本のヴァイオリンを使ったんだけど、弓で弾くごとに1オクターブ間隔の音を交互に出すととてもリズミックなサウンドが出せた。かなり後になるまでライヴによる同録で、今みたいな楽器ごとの別録りはしなかった。そうすると、曲がつまらなくなってしまうから、僕が作った大作のほとんどはオーケストラとバッキング・シンガーを入れて、みんな同時に録ったんだ。その方がずっといい雰囲気が得られたよ。唯一被せたのはリード・ヴォーカルとギターくらいだったかな。
Q:米国のポップ・ミュージックでは同じスタジオ・ミュージシャンでほとんど固定されていましたが、あなたのバッキング・メンバーはどうだったんでしょうか。
トニー・マコウレイ:僕の場合はスティーリー・ダン、エルヴィス・プレスリーのリズム・セクション、スティーヴィー・ワンダーのバッキング・シンガー、TOTOといった連中を使っていた。スティー・ダンはよく使ったよ。リズム・セクションはすべてアメリカで録って、それをイギリスへ持ち帰ってオーケストラを加えたこともあった。問題もいろいろあったけど面白いやり方だった。
Q;あなたが影響を受けた、あるいは好きな作曲家、プロデューサーは誰でしたか。
トニー・マコウレイ:モータウンのヒットをたくさん飛ばしたホランド=ドジャー=ホランドにはかなり影響を受けたね。あとはバート・バカラックかな。後にジミー・ウェッブやグレン・キャンベルにも影響を受けた。
Q:あなたと同時期に活躍したロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クックや、トニー・ハッチについてはどうですか。
トニー・マコウレイ:素晴らしいよ。彼ら(ロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クック:Roger Greenaway=Roger Cook)は素晴らしいシンガーでありミュージシャンでもあった。一緒に曲を書いた時、バッキング・トラックでよく歌ってくれたよ。二人とも別々に作曲していたけど、たまに一緒に書くこともあった。いいアーティストに恵まれていたね。トニー・ハッチ(Tony Hatch)からもかなり影響を受けた。人間的には決して好きじゃなかったかどね。嫌な奴だった。彼の曲はとてもメロディアスでビーチ・ボーイズにも影響を与えていたけど、彼のお気に入りのリズムがあって、そればかり使うんでどれも同じに聴こえてきた。すごく型にはまっていたんだ。僕の曲にもそういうところがあったけどね。僕自身ヒットを飛ばすようになると、もう彼の曲には魅力を感じなくなってしまった。
Q:ご自分の仕事の中でベストだと思う曲を教えてください。
トニー・マコウレイ:僕が好きなのは「Don’t Give Up On Us」だね。最初の妻のために書いた曲だった。好きだったけどまさかヒットするとは思わなかった。すごく静かな曲なのにやたら売れた。
Q:現在は小説家として活躍中(『戦慄の候補者(Enemy
Of The State』新潮文庫)だそうですが、きっかけは?
トニー・マコウレイ:うちは小説一家だったのでいうかは書こうと思っていたけど、45歳になるまで書きたいことがなかったんだ。『戦慄の候補者』は処女作なんだけど、実はその前に日本を舞台にした本も書いてたんだ。小説を書くのは楽しいよ。自分の思い通りになるからね。自分がパブリシャーでありエージェントでもある。英国では『Brutal Truth』という新刊が7月に出たし、もうすぐ新作も完成するよ。
Q:もう作曲活動はされていないんですか。
トニー・マコウレイ:今、「Hollywood Confidential」という新しいミュージカルを手がけていて、今年の暮れにアメリカで上演されるんだ。音楽と脚本と歌詞を書いた。ポップ・ミュージックはもうほとんどやっていないね。
(1996年7月にトニー・マコウレイ邸へ電話インタビュー)☆Four Seasons : Half And Half plus Bonus Tracks (Ace/635)
60年代、Vee-JayからPhilips時代のフォー・シーズンズの CD 化がやっとこの盤で完成した。
☆Teddy Randazzo Song Book(Real Music/1007)
テディにとって黄金期の64年から67年までの作品ばかり、リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズは「Reflections」など3枚のアルバムから抜粋、まだ未 CD 化のアップ・テンポの快作 "Trick Or Treat" や幾重にも重なるハーモニーが素晴らしい "I'm Hypnotized" などが聴きものが多い。ロイヤレッツは2枚のアルバムからの抜粋だが、今までリイシューされたロイヤレッツの CD を聴いて「一番いい曲が入っていない!」とガッカリしていた方にはセカンドのハイライト・ナンバーである弓を引くようなタメとパーカッションを交え解放感の高いサビを持つ "Gettin' Through To Me" や、不安げな歌い出しから解放感のあるメロディが現れる "Don't Throw Me Away" などこれも未 CD 化の作品が多く収録されているので満足出来る選曲だ。本誌の特集を見て興味を持った方は、是非テディ・ランダッツォの華麗な世界を味わっていただきたい。(佐野)
☆Southwest F.O.B. : 「Smell Of Incense」(P-Vine/5177)
サウスウェストFOBはAORデュオ、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コリイの前身のバンドで、タイトル曲 "Smell Of Incense" は68年に全米56位のヒットになった実績がある。単調なオルガンのスレーズ、けだるいヴォーカル、つなぎのフレーズには突如ヴォリュームのあるギターが現れるという、サイケデリックな佳曲で、アルバム全体もそうかと思えばこれが違う。美しいフォーク・ナンバー "Tomorrow" や、初期のムーディー・ブルースでジャスティ・ヘイワードが書いたようなポップでコーラスを生かした "All One Big Game" 、 "On My Mind" を聴くと、 "Smell Of Incense" とは違うバンドのような感覚がある。しかし11分を超える大作で、単調なベースのリフとドラムのフレーズに乗って徐々に盛り上がっていくアシッド感に満ちた "And Another Thing" や、後半がヘヴィなブルースに変わってしまう "Downtown Woman/Nadine" はそれとは逆にもっとサイケ色が強い。ポップな方が本来の彼らのスタイルなんだろうが、そこにサイケ・フレーバーが入ったのはこの時代ならでは、なかなか楽しめる。ジャケットも魅力的だ。(佐野)
☆Pinkertons Colours/Flying Machine : Flight Recorder(Sequel/290)
海外のリイシュー・レーベルは本当に凄い。本誌の読者ならもうお馴染みのイギリスのポップ/ロック・グループ、フライング・マシーンの全音源と、その前身のバンドであるピンカートンズ・カラーズ(名前は3回変わっているが)のデッカを除く全音源プラス14曲もの未発表曲とデモという、信じられない2枚組 CD がSequelからリリースされた。
それまでこつこつ集めたシングルなど大半がこれで不要となった訳だが、きちんとまとめてくれるのは大歓迎だ。このSequelやアメリカのSundazed、Varese Sarabandeなどの海外のリイシュー・メーカーの活躍を見るにつけ、自社で出さないカタログはリイシュー・メーカーにどんどん渡して行く海外の大手レーベルの姿勢の素晴らしさに驚かされる。日本のレコード会社にはほとんど期待できないからますますだ。
まずフライング・マシーンだが、唯一のアルバム「Down To The Earth With Flying Machine」と比べてその音質のクリアーなこと!今までよく聞こえなかったギターなどくっきりと聴こえてくる。そしてトニー・マコウレイ=ジョン・マクレオドのコンビの書いた曲のグレードの高さにも改めて驚かされる。明快でキャッチーなマコウレイ・サウンドは本当に魅力的だ。マコウレイらが離れてからも、ハーモニーを生かしたポップなサウンドは変わらず、中にはグリーナウェイ=クックの "Yes I Understand" などという曲もあった。ストリングスも交えたポップなフライング・マシーンの中で、唯一のメンバーのオリジナルである "Flying Machine" がギター中心のサウンドでこれが意外とカッコいい。さてそして前身のピンカートンズ。3枚のデッカ時代のシングルは収録されていないが、その代わりにそれぞれのデモ・ヴァージョンを入れているのがニクい。デモと言ってもそれぞれストリングスまで入っているのだが、アレンジなど出来は到底デッカの正式音源にはかなわない。ただ、甘酸っぱいメロディが魅力の名曲 "Magic Rocking Horse" はまったく違うギターのリフから始まり、曲が完成する過程が見えるという点では興味深かった。そしてこれも「新発見」だが、ファウンデーションズなどで知られる "There's Nobody I'd Sooner Love" と、初めて聴いた "Look At Me,Look At Me" という2曲のマコウレイ・ナンバーがあった。どちらもレベルはたいしたものではない。内容的にはそれよりも12曲もの未発表曲だ。中でも12弦ギターのイントロ、流れるようなメロディ・ライン、ハーモニー、ストリングスのからみも完璧な "Me Without You" が最高だ。ヒット・チューンだったのに惜しい。スキップしたくなるように軽快な "Shadows On A Foggy Day" もいい。他の曲は基本的にホリーズに近いスタイルを感じる。ソフト・ロック・ファン、ポップ・ファン、ブリティッシュ・ビート・ファンの誰でも楽しめるこの CD は絶対に買いだ。VIVID SOUNDから日本盤も発売される。(佐野)