ROGER GREENAWAY INTERVIEW
ロジャー・グリーナウェイ・インタビュー
トニー・マコウレイに次ぐ、ブリティッシュ・ポップの偉大な作曲家兼プロデューサーとして誇れるのがロジャー・グリーナウェイ=ロジャー・クックのコンビである。この2人もトニー・マコウレイと同時期に1960~1970年代に数多くのヒットを生み出した。この2人はトニー・マコウレイと違うのはパフォーマーとしての活躍もあり、またこの2人のコンビも数年経つとバラバラが多くなり、特にポップな曲を書くのを得意としていたロジャー・グリーナウェイは、親和性の高いトニー・マコウレイと組んでの曲が多くなる。グリナウェイ=クックとして、2人もしくは2人のどちらかでクレジットされた全英20ヒットは25曲と、まさにトニー・マコウレイに続く2番手としてヒットを生み出していた。このロジャー・グリーナウェイのインタビューも日本はおろか米英でも見たことがない貴重なものだ。
(インタビューアー:浅田洋、佐野邦彦/訳:岩井信)
Q:あなたが影響されたお気に入りのアーティスト、曲、ジャンルを教えて下さい。
ロジャー・グリーナウェイ:ぼくは、サビのフックが効いた、いわゆるスタンダードなポップ・ミュージックが昔から大好きだったんだ。ぼくが音楽ビジネスに入るきっかけになったアーティストは、Johnny Ray、Frankie Laine、Bobby Darin、The Four Aces、ハーモニー系のグループが大好きなんだ、そしてエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)やビーチ・ボーイズ(Beach Boys)だ。曲で言うと、「Heartbreak Hotel」や「God Only Knows」「Good Vibrations」などだね。ドリフターズ(Drifters)なんかも最高だし、「Stand By Me」「Save The Last Dance
For Me」なんかもいいね。
Q:あなたが作った曲の中で最も古いものはトニー・バロウズ(Tony Burrows)とのデュオOne & One名義で1964年にリリースした「I’ll Give You Lovin’」ですが、それ以前のケストレルズ(Kestrels)時代の活動について教えてください。
ロジャー・グリーナウェイ:そうだよ。「I’ll Give You Lovin’」をレコーディングする前に、トニー・バロウズとケストレルズという4パートに分かれたハーモニーを奏でるグループにいたんだ。1961年にプロになってから、Pye Picadilly RecordsやDeccaから何枚のレコードをリリースした。「Chapel In The Midnight」、ビートルズのカバー「There’s A Place」のレコーディングでHelen Shapioなど著名な様々なアーティストとツアーに同行したよ。Eden Kane、Adam Faith、Billy Fury、Tom Jones、Engelbert Humperdinck、Benny Hill等々だ。
Q:あなたの、ロジャー・クック(Roger
Cook)との大ヒット曲「You’ve Got Your Troubles」について教えてください。彼とのベスト・ワークについても教えて下さい。
ロジャー・グリーナウェイ:「You’ve Got Your Troubles」がロジャー・クックとぼくが最初に書いた曲だったんだ。クックは1964年に、ケストレルズに元いたメンバーのうちの一人がソロになると同時に入れ替わるようにメンバーになったんだ。丁度ハーマンズ・ハーミッツと一緒にツアーを回っていた時だったかな。クックがメロディの裏を取って、ぼくがメロディを歌う、その途中で歌詞とかはなかったんだけど、曲のタイトルがふと浮かんだんだ。1時間以内には曲が完成されてたね。「and it must seem to you
my friend,that I ain’t got no pity for you,well that’s not true,because I lost
my little girl too」という歌詞のカウンター・メロディ(オブリガード)部分はクックのアイデアなんだよ。どれほどぼくらが興奮したことか、想像してごらん?フォーチュンズ(Fortunes)でのレコーディングが世界的なヒット曲となってさ。またジョージ・マーティンをプロデューサーにむかえて、デビッド&ジョナサン(David & Jonathan)としてもレコーディングしたんだ。ぼくらのデビッド&ジョナサンとしての2曲目のヒットは「Lover Of The World Unit」はぼくのお気に入りでもある。
ホワイト・プレインズ(White Plains)の「My Baby Loves Lovin’」、そしてホリーズ(Hollies)の「Long Cool Woman In A Black Dress」、何もかもだね。ドリフターズの「Like Sister And Brother」やニュー・シーカーズ(New Seekers)の「I’d Like To Teach The World To Sing」も胸を張れるね。ジーン・ピットニー(Gene Pitney)の「Something’s Gotten Hold Of My Heart」やカングリゲーション(Congragation)の「Softly Whispering I Love You」は言うまでもないね。
ホワイト・プレインズ(White Plains)の「My Baby Loves Lovin’」、そしてホリーズ(Hollies)の「Long Cool Woman In A Black Dress」、何もかもだね。ドリフターズの「Like Sister And Brother」やニュー・シーカーズ(New Seekers)の「I’d Like To Teach The World To Sing」も胸を張れるね。ジーン・ピットニー(Gene Pitney)の「Something’s Gotten Hold Of My Heart」やカングリゲーション(Congragation)の「Softly Whispering I Love You」は言うまでもないね。
Q:曲を書くには何が一番大切ですか。ヒットソングには何が不可欠ですか。
ロジャー・グリーナウェイ:曲を書く上で一番大事だと覚えておかないといけないのは、自分ができる以上に作曲することを心掛けることだ。時々、最初にふと浮かんだままの方がいいってこともあるけどね。これが自分のできる限界だとがんばることだね。いくつかのスタンダードとされている曲はどうってことのない歌詞なんだけど、とっても記憶に残るメロディで構成されているよね。おそらくヒットソングに必要な要素は、記憶に残るキャッチーなメロディ、そして、聴く側が共感できる分かりやすい歌詞だと思うよ。トニー・マコウレイ(Tony Macaulay)なんかはこの手の天才じゃないかな。
Q:あなたはNaked Truthとして1967年にトニー・バロウズと「Two Little Rooms/Rag Doll Boy」をリリースされましたよね。これらはあなたの曲ではなく、同時に収録された曲は、ミレニウムのメンバーの曲でした。この選択はどういった経緯でなされたのですか。
ロジャー・グリーナウェイ:ぼくたちがなぜ実際それらの歌を収録したのか、全く覚えてないね。
ロジャー・グリーナウェイ:「Come Into The Warm」はCadburyというというチョコレート・ドリンクのジングル(CM曲)として書かれたんだ。ジョン・カーターが、テレビ・コマーシャルで歌って、その反応がとても良かったので、ぼくらはDriftwoodとしてシングルをリリースすることにしたんだ。ジョンとの作曲という意味でのコラボレーションはそれっきりだね。ぼくらはとてもいい友達で、いくつかセッションで他の人達の曲は歌ったんだけどね。
Q:あなたはホワイト・プレインズ、ブラザーフッド・オブ・マン(Brotherhood Of Man)のメンバーでしたが、結構早くにグループを抜けられています。何故でしょうか
ロジャー・グリーナウェイ:ホワイト・プレインズ、ブラザーフッド・オブ・マンそしてピプキンズ(Pipkins)は、全てスタジオ・グループだったんだ。70年代初頭にぼくは、自身が歌ったりするパフォーマー側(フロントマン)の立場を諦めて、もっと裏方作業であるプロデューサー、作曲、作詞といった方向に精神を統一し始めたんだ。そのため、いざツアーにこのグループで行こうかとなった時に、それを断って誰か別の人たちに置き換わったということなんだ。もちろん、ホワイト・プレインズに対しての、プロデュース、作曲、作詞活動は続けたけどね。
Q:60年代後半から、70年代中期に渡って、トニー・マコウレイとの世界的ヒットが数多くありますが、あなた自身のお気に入りの曲を教えてください。
ロジャー・グリーナウェイ:トニー・マコウレイとのワークスでも特にお気に入りの2曲が、アンディ・ウィリアムス(Andy Williams)の「Home Lovin’ Man」と、ドリフターズの「Kissin’ In The Back Row」だ。
Q:1973年頃からドリフターズをプロデュースするようになりましたが、この経緯を教えてください。
ロジャー・グリーナウェイ:前の方で述べたけど、ぼくはドリフターズの大ファンだったんだ。Henry Dellarsという人物が、ぼくもよく知るケストレルズのエージェントだったPeter Walshの元で働いていたんだ。彼はイギリスでのドリフターズのブッキングを、ぼくに会いに来る前の何年か行っていたんだ。ドリフターズはしばらくの間レコードをリリースしていなく、実際レコーディングする予定もたってなかったんだ。ぼくはそのチャンスに飛びついたね。だってぼくにとってJohnny Mooreは彼の世代で最高のリードシンガーだったからね。Johnny Moore、Bill Fredericksそしてその他のドリフターズのメンバーと、それから素晴らしい5年間を造ったんだ。
Q:英国の作曲者、トニー・マコウレイ、トニー・ハッチ(Tony Hatch)、ジョン・カーターについてどう思いますか。彼らの曲でお気に入りがあれば教えて下さい。
ロジャー・グリーナウェイ:ぼくはトニー・マコウレイ、トニー・ハッチそしてジョン・カーターを評価している。特にトニー・マコウレイはある明確な理由で評価している。何故なら、トニー・マコウレイはたくさんの良質なポップ・ミュージックを作曲したからだね。もし1曲だけ選ばないといけないとしたら「Build Me Up Buttercup」を選ぶね。トニー・ハッチについては、ぼくと初期の曲「Everything In The Garden」をレコーディングしたというのが印象的だね。丁度、ビートルズとペトラ・クラークとのツアー中に作曲した。曲を選ぶとしたら「Call Me」と「Downtown」だ。どちらもアメリカではスタンダードだ。そしてジョン・カーターのお気に入りの曲は、彼のパートナー、ケン・ルイスと作曲した「Funny How Love Can Be」そして「Tossin’ &
Turnin’」だ。
Q:ロックンロールのソングライター、レノン=マッカートニー、ジャガー=リチャード、ピート・タウンシェンド、レイ・デーヴィスについてはどう思いますか。
ロジャー・グリーナウェイ:レノン=マッカートニーとジョージ・ハリスン(「Something」の)大ファンなんだ。ローリング・ストーンズの初期の好きだね。特に「Honky Tonk Women」なんかがね。フーもいいね。でもずっと続けてファンでもないんだよね。実際に買ったのが今でも名盤な「My Generation」だけなんだけどね。レイ・デーヴィスも「Waterloo
Sunset」という素晴らしい曲を書いたよね。未だに以前購入したやつが、ぼくのジュークボックスに入っているよ。全員歴史的なパフォーマーであり作曲家たちだね。
Q:ドイツのテレビ番組であなたとトニー・バロウズが出演しているのを見かけたのですが、あなたは未だに音楽に携わる仕事をされているのでしょうか。もし、そうであれば、今後リリースの予定はあるのでしょうか。
ロジャー・グリーナウェイ:トニー・バロウズとはよく会うよ。何故なら、5年くらい前にオリジナルのケストレルズを再結成させたからだ。一か月に一回ぐらいはリハーサルを行いチャリティ・ショウだけで演奏しているんだ。ここ数年で思ったよりたくさんの収益が出たので、その一部をつかってトニーは未だにセッションをしてるね。地元の学校で先生をしながら。ぼくは、ここロンドン支部ASCAPのシニア―副社長だ。ASCAPはJASRACの兄弟団体なんだ。
Q:あなた自身のお気に入りのものを教えて下さい。
ロジャー・グリーナウェイ:クック=グリーナウェイ作曲でお気に入りは?と聞かれたらかならずこう答えるだろうね。まず「You’ve Got Your Troubles」だ。この曲は初めて一緒に作曲した曲だからね。それと「Lover’s Of The World Unite」だ。ぼくたちの最初のレコーディングされたヒット曲だ。 (2003年収録)