2026年10月23日金曜日

登録番号1081112(前編)

 


2026年7月29日、「Kokomo」をめぐって一つの期限が静かに過ぎた。
Mike Loveが2年前に発したある通知の中で、出版社へ譲渡した楽曲の権利回復とした日である。その年、舞台の上では別の時計が進んでいた。3月にはBruce Johnstonがツアーを離れると報じられた。6月、Londonでの公演の後、Mikeは、いとこBrianの一周忌の日に妹のMaureenを亡くしたこと、気管支炎に続いて新型コロナウイルスにも見舞われたことを、自らファンに明かしている。
我らがThe Beach Boysの夏の約30公演は中止または延期となり、9月の復帰公演も一つも行われないまま取り消された。10月9日のIllinois州Bloomingtonの公演も中止。その翌日の10日、Ohio州Cincinnatiで、Mike一行はおよそ3か月ぶりに観客の前に立つ。「Good Vibrations」の発売から、ちょうど60年の日だった。Mikeは手を引かれて登場し、椅子に座ったまま、コーラスに声を添えたと報じられている。リードを歌ったのは、ギターのBrian EichenbergerやMikeの息子Christianらだった。翌日、NashvilleのRyman Auditoriumへ向かう飛行機に乗り込むところだと書き出して、41年間Mikeと舞台を共にしてきたJohn Stamosは、Mikeとの連名で声明を出した。Mikeは「深刻な健康上の問題」に直面しており、医師や家族、友人が健康に専念するよう勧めても、本人は舞台に立つと譲らないという。病名などは明らかにされていない。声明は、こう結ばれている。「明日何が起きるかは分からない。でも、僕らには今夜がある」。
その同じ夜、もう一人の存命の創設メンバーAl Jardineは、3,000キロ近く離れたCalifornia州Cerritosで自らの公演を開いた。名乗るのは「Al Jardine of The Beach Boys with the Pet Sounds Band」。The Beach Boysを正面から名乗ることは、いまも許されていない。許されているのは、そのメンバーだと説明することだけだ。ところが、その名乗れない舞台には、初期のメンバーDavid Marksと、黄金期を支え、今年Mikeのもとを離れたBruce Johnstonが加わった。脇を固めるのは、Brianの晩年のツアーを支えたバンドの面々と、Alの息子Matt。さらに予告なしに、Brianの最初の妻で『Love You』にも声を残したMarilyn、二人の娘Carnie、そしてJan & DeanのDean Torrenceまでが舞台に上がった。Marilynが『Love You』の「Let’s Put Our Hearts Together」を人前で歌うのは、1977年の録音以来、二度目だったという。
思えば、この夏Mikeが率いたツアーのテーマは「America’s Band」、つまり「米国を代表するバンド」と称し、米国建国250年を祝うツアーと銘打たれていたうえに、Pet Sounds 60周年を祝福している、正統性はこちらにあるのだ、といわんばかりだ。伝統的価値を重視する保守派のMikeにとって、これ以上ない舞台だったはずであり、大げさに言えば、60年を超える自らの歩みの集大成である。
Mikeは法廷で作者の座を勝ち取り、取締役会は彼に名前を独占的に名乗る事を許した、国の定めた手続きで自らの若き日の歌の権利を呼び戻しにかかった。書類の上で見るかぎり、Mikeは楽曲のみならず各種権利を着実に自らの中心へ引き寄せてきた。だが、その正当性を誇る華々しい自らの舞台の上で、60年代から率先して観客をあおってきた85歳のフロントマンは深く椅子に座り動かない、The Beach Boysを正面切って名乗ることを許されない84歳のAlのまわりには、かつての仲間とBrianゆかりの人々が集まり活き活きと自らの伝統を伝える。ファンの目に、どちらの舞台がThe Beach Boysらしく映っただろうか?もっとも、名乗るMikeもまた、その名の持ち主ではない。商標を持つのは会社であり、Mikeはその使用を許されているにすぎないのだ。皮肉な光景だが、本稿がこれからたどる物語の、これ以上ない縮図でもある(注1)。






では、その名前は誰のものなのか?
「Surfin'」から「Kokomo」までの歌は、誰のものなのか?
答えは驚くほど入り組んでいる。名前は商標、歌は著作権で、持ち主も売り買いの道筋もまるで違う。しかも歌は、メロディと歌詞そのもの(楽曲)と、それを録った録音(原盤)に分かれ、それぞれに別の持ち主がいる。本稿は、一介の音楽ファンである筆者が、判決文と、米国の特許商標庁、著作権局の記録、著作権管理団体のデータベースだけを手がかりに、迷路に分け入った素人探偵の記録である。記録は多くを語る。だが、肝心なところで口をつぐむのだ。ファンの間で語られてきた英雄と悪漢の物語を、書類の山はどう映すのか。その行間を読んでみたい。
最初にたどったのは、名称である。米国特許商標庁で「THE BEACH BOYS」を調べると、登録番号1081112が現れる。登録は1978年1月3日。出願されたのは、1975年8月。登録簿が記す使用開始日は1961年11月1日で、デビュー曲「Surfin'」が世に出たころにあたる。名はレコード会社の側が付け、メンバーは知らなかったという逸話が残るのだが。
ここで、最初の謎に突き当たる。その名が商標として出願されたのは、1975年8月なのだ。使い始めてから、ほぼ14年。黄金期の1960年代を、この名は登録簿に載らないまま駆け抜けたことになる。米国では、商標の権利は使い始めたときに生まれ、登録は義務ではない。だが登録のない権利は、名が知られた土地でしか守られず、持ち主であることも、争うたびに一から証明しなければならない。しかも、その名を付けたのはレコード会社の側だったではないか。守りは無防備に近かった。
それで済んだのは、米国の商標が、英国から受け継いだ慣習法の中で育ってきたからだ。慣習法では、使った者に権利が発生する。名付け親がそのまま持ち主になるわけではなく、登録から権利が生まれるわけでもない。持ち主とされるのは、その名で演奏し、実際に活動してきた側だ。多くの場合はメンバー全員だが、だからといって、一人ひとりが勝手に名乗れるわけでもない。連邦の登録は後から付け足された仕組みで、演奏のような「サービス」の名を登録できるようになったのも、1946年からにすぎない。登録しなくても済んだその状況を揺さぶったのが、1964年のThe Beatlesである。彼らの名を付けたシャツや人形が米国で飛ぶように売れたが、商品化を任された業者の取り分は9割、Beatles側は1割という契約だった。バンドの名がレコードとは別にお金を生む資産だと、当時の業界に印象づけた一件である。ただ、1967年のBrother Record Inc.(以下BRI)の設立で、名前の権利がメンバーからBRIへどう移ったのかを示す書類も、公の記録には見当たらない。
では、なぜ1975年だったのか?前年には古巣Capitolの編集盤『Endless Summer』が全米1位となり、バンドは再び大観衆を集めはじめていた。衣類の使用開始日も同じ年の1月とある。人気の再燃とグッズの広がりが、名前を守る必要を生んだのかもしれない。だが、出願の理由はどこにも書かれていない。登録簿の経過欄は1983年から始まり、出願から登録までの審査のやりとりも、そこには見えない。登録の対象は、演奏と、シャツ・ブラウスだ。レコードは入っていない。2か月後の10月には、レコードとテープについて図形の商標が別に出願されているが、その行方は筆者には確かめられなかった。登録は2018年に更新されていまも有効で、次の期限は2028年1月だ。



ロゴにも物語がある。1960年代のジャケットでは、バンド名の文字はアルバムごとにまちまちだった。おなじみの筆記体のロゴが現れるのは1976年。Jan & DeanのDean Torrenceが、自らのデザイン会社で『15 Big Ones』のジャケットとともに描いたものだ。このロゴも長く登録されないまま使われ、2018年1月、1081112の更新とほぼ同じころに、演奏、レコード、衣類の三つの区分でまとめて出願された。演奏とレコードの使用開始日は1976年7月5日、『15 Big Ones』の発売日とされる日である。50周年の2012年には、スロットマシンの名としても登録されたが、こちらは2020年に取り消されている。
この商標の名義人、つまり登録簿に持ち主として記されているのは、Brother Records, Inc.、通称BRIである。2003年の判決文によれば、メンバーが1967年に、The Beach Boysの知的財産を持ち、管理するために作った会社である。また、『Smiley Smile』を出した当時のレーベル名でもある。
判決のころは、Brian、Mike、Al Jardine、そしてCarlの遺産管理側が均等に株を持ち、それぞれが取締役を務めていた。もっとも、最初からこの顔ぶれだったわけではない。Alが株主に加わったのは1973年とされ、1983年にDennisが世を去ると、その株は、債務の弁済に充てるため、遺族からBRIの側へ売却されたと伝えられる。MikeがThe Beach Boysを名乗ってきたのは、名前を持っているからではない。1998年7月、取締役4人のうちAlを含む3人が、メンバー各自へのThe Beach Boysの名称使用許諾案に賛成した。その年の2月にCarlが世を去り、案を出したのはその遺産管理側だった。Mikeはこの枠組みで契約を結ぶ。使用料は総収入の最初の100万ドルに20%、以降は17.5%。Alも許諾を求めたが、最初の100万ドルに5%とする彼の案は、11月の取締役会で退けられた。許しのないまま「Beach Boys Family & Friends」などの名で公演を続けたAlをBRIは訴え、2003年にBRI側が勝つ。The Beach Boysが来ると思って彼のバンドを呼び、違うと知って取り消した興行主もいたと、判決は記す。争われたのは、Al自身が賛成票を投じた枠組みだった。全員に開かれていたはずの扉を、通り抜けたのはMike一人だった。やがてその扉は、一人のためのものになる。Mikeの自伝によれば、BRIは彼に独占的な名称の使用を許し、取締役会の票は賛成2、反対1、棄権1。Mikeは棄権し、Alは反対し、賛成したのはBrianとCarlの遺産側だったという。別の訴訟では、1992年にMikeはBrianを訴え、1994年にMikeが勝っている。そのBrianが、数年後にはMikeに名前を独占させる側に票を投じた。かつての法廷の敵は、取締役会では味方だったのである。1998年の枠組みに賛成したAlは、今度は反対に回った。使用料はBRIを通じて株主に分けられ、その中にはAlも含まれる、とMikeは主張する。2012年の50周年の再結成では、名前の使用はMike、Brian、プロデューサーのJoe Thomasが持つ50 Big Onesという会社に許諾されたと報じられている。The Beach Boysの名を名乗れるかどうかを決めるのは、もう血筋でも経歴でもない、契約だった(注2)。

次は視点を歌に移そう。「409」から「Good Vibrations」あたりまでの曲は、Brianと父Murryが1962年に作った出版社、いわばWilson家の会社であるSea of Tunesが持っており、実質的にBrianらのものであるに等しかった。報道によれば1969年8月20日、MurryはそれをIrving Musicに70万ドルで売った。Brianは1989年に訴えたが、歌は戻らなかったとされる。Irvingの親会社Rondorは2000年にUniversalが買い取った。1960年代の名曲の権利をたどると、いまはUniversalに行き着く(注3)。
ここで、著作権局の記録に奇妙な一枚が現れる。1993年、Mikeは1960年代の171曲について、Irvingの権利を継いだRondorに宛てた譲渡の書類を残している。日付の欄には「1969年8月20日現在」とある。MurryがSea of Tunesを売った、まさにその日だ。24年前にさかのぼる日付を、なぜ書き込んだのか?手がかりはMike自身の自伝にある。
MikeがBrianを訴えたのは1992年7月末。1か月後、Brian本人から電話があり、「訴えられて当然だ。借りがある。お金で解決しよう」と言ったという。Mikeは、金よりも曲のクレジット、とりわけ「California Girls」が欲しいと答えた。だが和解の話し合いは決裂し、裁判に進む。30年も前の話で勝ち目は高くないと見たMikeは、インドの寺院で、Ganesha神のための火の儀式に加わったと自伝に書く。
そして同じ1993年、Mikeはその訴訟から一部の被告を外す声明も著作権局に残している。外されたのが出版社の側(Rondor)だったとすれば、こう読めるのではないか?Mikeは裁判の前に出版社とだけ和解し、作者と認めてもらう代わりに、自分の分の権利を出版社に譲渡する。その日付を、Murryが楽曲を売った1969年8月20日にさかのぼらせれば、出版社の権利に空いていたMikeの分の穴は、書類の上で最初から無かったことになる。この一枚は、翌年の判決より先に、出版社の側がMikeを作者として扱いはじめていたことを示しているのかもしれない。合意書の本文は、記録にない。二枚の書類のあいだの空白を、読者ならどう埋めるだろうか。報道によれば、翌1994年、Mikeは作者表記を求めたBrianとの裁判に勝ち、35曲で作者と認められた。1996年5月、著作権局には1960年代の35曲についてMikeの名が並ぶ登録が現れる。数はぴたりと一致する(注4)。
1993年には、もう一枚の書類がある。Mikeは自らの会社Michael E. Love Entertainment Corporationとともに、「Surfin'」から「Kokomo」まで333タイトルを並べた担保の書類を残している。担保とは、約束が果たせなかったときに、相手がそこから取り立てられるようにしておく仕組みだ。受け取る側には、出版社Rondor、Mitchell Silberberg & Knuppという法律事務所、そして弁護士Abraham Somerの名がある。といっても、Mikeが歌そのものを差し出したわけではない。歌の著作権の大半は出版社の手にあり、Mikeが一人で差し出せるものではないからだ。手がかりは題名の顔ぶれにある。2020年、この担保の満了を確かめる書類に並んだ315タイトルには、『Beach Boys' Party!』で歌われたThe Beatlesの3曲や「Barbara Ann」まで含まれていた。どれもMikeが書いた曲ではない。Mikeが歌った曲である。差し出されたのは、それらの歌から歌い手として、また作者としてMikeが受け取る印税の権利とみられる。
では、何のための担保か。ここで、先の譲渡の書類を思い出したい。先の読みが正しければ、出版社はMikeを作者と認め、その代わりに彼の取り分を譲り受けた。作者と認めた以上、出版社はこれからMikeに作家印税を払う立場になる。音楽出版の世界では、払う予定の印税の一部を作者に先に渡すことが珍しくない。前払い金である。先に渡した分は後の印税から差し引いて取り戻すが、取り戻しきれないときに備えて、作者の別の収入を押さえておく。Rondorが受け取る側に名を連ねるのは、そのためだったのかもしれない。出版社にとっても悪くない話だ。裁判の勝ち負けにかかわらず、権利の穴をふさぎ、取り立ての当ても確保できるのだから。
一方、法廷でMikeの代理人を務めた弁護士は、勝訴の分け前を報酬とする約束だったと、のちの訴訟記録にある。勝訴の後、その分け前は、得た賠償の3割に加え、35曲からこれから入る作家印税の3割と取り決められたという。担保の受け手に並ぶ法律事務所と弁護士は、それとは別の顔ぶれで、その役割は記録からは分からない。並ぶ法律事務所と弁護士は、裁判にかかる費用を後払いにした分の備えだろうか。いずれにせよ、ここに浮かぶのは、毎年確実に入ってくる歌い手の稼ぎを元手に、勝てるかどうか分からない作者の座を取りに行くMikeの姿である。自分の歌の作者の座を勝ち取るために、自分の歌声すなわち自らの喉を賭けたのだ。ただし、契約の本文は記録にない(注5)。

一方、1968年ごろからの曲は、Brother PublishingやWilojarston Musicなど、バンド側の出版名義に残った。「Add Some Music to Your Day」「Feel Flows」「Surf's Up」。歌は、1969年に手放された作品群と、手元に残った作品群の二つに分かれたわけだ。その二つ目の作品群が動いたのが、2020年の夏である。
日付を追うと、まるでカウントダウンだ。まず6月26日、買い手の器となるIconic Brothersの名を冠した二つの関連会社がCalifornia州に登録される。7月24日、1993年の担保の満了を確かめる書類。(あの担保のタイトルは1960年代の曲にとどまらず、1988年の「Kokomo」にまで及んでいた。)8月20日と28日、その一部の解除の書類。28日、MikeはNevada州で、AlはCalifornia州で、二人はBRIの執行役員として同じ証書に署名する。31日、資産売買契約が結ばれる。買い手はIconic Brothers LLC。翌年2月にIrving AzoffのIconic Artists Groupが「The Beach Boysの知的財産の支配的持分を取得」と発表する取引である。古い担保を外し、署名を揃え、売る。並べてみると、すべてが売却に向けた下ごしらえに見える。なかでも目を引くのは、7月24日の確認書だ。27年前の担保が、取引のわずか5週間前になって、もう満了していると改めて書面で確かめられている。なぜ、このタイミングなのか。誰が、その確認書を求めたのか。買い手にしてみれば、古い担保の記録が残ったままの歌を、そのまま買うわけにはいかなかったはずだ。9月1日、買った権利はすぐに、同じIconic系列の出版の会社(Iconic Brothers Publishing)と原盤の会社(Iconic Brothers Masters)に振り分けられ、同じ日に銀行の担保に入った。買った歌をそのまま銀行の担保に差し出し、その歌がこれから生む印税を返済の当てにして、他のカタログ買収の代金に充てる資金調達をしたとみられる。1998年に名前をめぐって道を分けた二人が、22年後、同じ書類に並んで名を記していた(注6)。


ここで、買い手の商売の中身を確かめておこう。2018年にIrving Azoffらが立ち上げたIconic Artists Groupの稼ぎ方は、ざっと次の通りだ。まず、往年の大物から、楽曲や録音の権利に、名前と肖像までをまとめて引き受ける。次に、それを眠らせない。配信での見せ方を工夫し、周年に合わせて再発盤を出し、映画やCMに曲を貸し、ドキュメンタリーやグッズに名前を使う。音源はレコード会社に貸し出して流通を任せ、自らは持ち主として使用料を受け取る。売り手のアーティストや遺族には持分を残し、上がりを分け合う。そして、こうしたカタログが毎年生む安定した収入を信用にして、新たな資金を集め、次のカタログを買う。The Beach Boysで言えば、2021年の「PET SOUNDS」などの商標の出願、2024年の公式の大型本、Azoffが製作に名を連ねたDisney+ のドキュメンタリー、そしてCapitolに貸し出された『We Gotta Groove』が、その歯車にあたる。名簿にはLinda Ronstadt、David Crosby、Rod Stewart、Cher、さらにDean MartinやFrank Sinatraの遺産の一部までが並び、2024年には投資会社の出資と借入で10億ドルの資金枠を得た。言うなれば、名曲を眠らせず、稼がせ続け、その稼ぎで次の名曲を迎え入れる仕組みである(注7)。




では、Iconicは何を手に入れたのか?物証は証書にある。それによれば、商標については共有持分の51%。残る49%はBRIに残ったが、誰に使わせ、使用料をどう集めるかを決める権限は、両方ともIconicが独占的に握る。持分は半分近く残し、ハンドルはすべて渡した、と言えばよいだろうか?
Iconicが手に入れたのは、バンドそのものではない。名前とカタログを使って稼ぐ、その道筋の舵である。当のAlも、このディールの発表に際して「彼らが経営の最終判断を下せる。それこそ私たちに必要だったものだ」と語っている。歌と録音については924タイトル。『Smiley Smile』から『Surf's Up』『Holland』、そして『The Smile Sessions』まで。ただし、黄金期の1960年代の楽曲は、この取引の外にある。「Good Vibrations」も「God Only Knows」も、楽曲の持ち主はいまもUniversalだ。
ここで筆者は一つ訂正しておかなければならない。2024年5月の弊誌で、筆者はIconicがBRIの過半数の議決権にあたる株を買ったと書いた。だが記録を見る限り、動いたのは会社の株ではなく、会社の資産だった。面白いことに、商標の登録簿はこの大ディールを半分しか映していない。
登録番号1081112の名義人の欄は、いまもBRIのままなのだ。同じ「THE BEACH BOYS」でも、レコードやCDに付ける名前として別に登録された商標(第2631628号)には、IconicとBRIの共同名義が記されているのに、である。そして2023年8月、名義人BRIの住所は、法律事務所の気付から、Iconicの関連会社が並ぶWestwoodの同じ一室へと移された。名義人の欄は変わらない。だが郵便の宛先は、もう買い手の部屋なのである。
一方で、発表の直後には「THE BEACH BOYS CHANNEL」「PET SOUNDS」「SMILEY SMILE」など、Iconicの知的財産会社とBRIの共同名義による新しい出願が相次いだ。楽曲の持ち主は、Universalの側であるにもかかわらず、である。2024年に弊誌で紹介した公式の大型本も、この二者の監修だった(注7)。

同じころ相次いだ大物のカタログ売却と並べると、違いがよく分かる。手放した側の例を挙げてみよう。

・Bob Dylan(2020年12月) 自作曲600曲余りの権利をUniversalの出版部門へ。報道によれば3億ドル超
・Bruce Springsteen(2021年12月) 自作曲と録音の権利をSonyへ。報道によれば約5億ドル
・KISS(2024年4月) 楽曲と録音のバンド側の権利に加え、名前、肖像、あのメイクまでをPophouseへ。報道によれば3億ドル超
・Queen(2024年6月) 録音と楽曲の権利、名前と肖像権をSonyへ。報道によれば約12億7,000万ドル。公演の収入だけは手元に残したとされる
・Pink Floyd(2024年10月) 録音の権利と名前、肖像権をSonyへ。報道によれば4億ドル

名前や肖像権まで手放す例は、もはや珍しくない。The Beach Boysが違うのは、持分を残したことだ。Pink FloydのDavid Gilmourは、売却を前に「意思決定と口論から解放されることが夢だ」と語っている。決める重荷を下ろしたいという点では、Alと同じである。だがPink Floydが手を離したのに対し、The Beach Boysは持分を握ったまま、上がりを分け合う側に回った。売り切りではなく、看板ごと預けた共同経営に近い(注7)。
ここで、ある見出しの裏を取っておきたい。2021年、ある海外メディアは「Surfin' U.S.A.やGood Vibrationsの原盤も売られた」と見出しを打った。ところが、Iconic側が銀行の担保に入れた原盤の一覧を見ると、たしかに「Good Vibrations」や「I Get Around」の名はあるものの、それはCapitol時代のオリジナル録音ではなく、後年の録音やライブ、Hite Morganのもとでの初期のデモとみられる。オリジナルの原盤はUniversalの側にある。同じ曲名でも、録音が違えば持ち主も違うのである(注8)。

素人探偵の捜査は、思わぬところで一本の線につながる。著作権管理団体のデータベースで「Feel Flows」を開くと、出版社の欄にICONIC BROTHERS ANTHEMSという名が現れ、連絡先はUniversal Musicだ。
一方、1960年代の「I Get Around」の出版社はIrvingとAlmoで、Iconicの名はない。ところがAlmoの住所と電話番号は、Iconic名義の出版社のそれと同じなのだ。
Santa Monica、Colorado Avenue 2105番地。
2020年に売られた作品群と、1969年に手放された作品群は、いま同じ番地に窓口を置いている。
話はまだ終わらない。Mikeの「Getcha Back」を開くと、彼の持ち分の出版社としてClairaudient Musicという名が現れる。Nevada州の法人記録によれば、1986年に設立され、Mikeが社長を務める会社である。The Beach Boysを名乗るMikeが、自ら舵を取る器である。この器がこれから何を受け止めることになるのかは、まだ伏せておこう。 そしてその連絡先もまた、Colorado Avenue 2105番地なのだ(注9)。

1969年に父が売り払った歌。2020年にバンドの会社が売却した歌。そして、その歌の作者の座をめぐっていとこを訴えた男の歌。持ち主も、たどった道も、因縁もまるで違う三つの作品群が、いま同じ扉の前に集まっている。この番地の向こうで、いったい誰がこれらの歌の面倒を見ているのか?
だが、この番地は入り口にすぎなかった。2021年、Brianが関わる書類には、見慣れない会社の名が一つ記されている。その会社が生まれたのは、署名と同じ日。そして住所をたどると、また別の「同じ部屋」に行き着くのだ。一つはSanta Monicaの2105番地、もう一つは……。二つの扉の向こうで、The Beach Boysの歌を握っているのは誰なのか?(後編に続く)




注

1 Ultimate Classic Rock、TicketNews、Consequence(2026年9月)、WGLT(2026年10月6日)、Rolling Stone・The Daily Beast(2026年10月7日)、Consequence・Best Classic Bands・Rolling Stone(2026年10月11日)。John Stamosの声明:Variety(2026年10月)ほか。Mikeの6月の言葉、Calgary公演の中止、Al Jardineの公演の看板:Cerritos Center for the Performing Artsの公演案内ほか。Al Jardineの公演:Rolling Stone Japan(2026年10月12日、原文はRolling Stone US、Andy Greene)、Rolling Stone(2026年10月13日)、Ultimate Classic Rock・Far Out・People(2026年10月13日)。Al Jardineの公演の顔ぶれ:El Camino College The Union(2026年10月2日)ほか。建国250年の銘打ち:313 Presentsの公演案内(Meadow Brook Amphitheatre、2026年8月15日、のちに中止)。「Kokomo」:米国著作権局V10002D572。
2 米国特許商標庁TSDR登録第1081112号(出願番号73059442)。バンド名の由来は二次資料、Endless Summerは公式サイトによる。ロゴ:TSDR登録第5550402号、第5564768号、第5550399号、スロットマシンは第4433632号。Dean Torrence:The Spokesman-Review。Brother Records, Inc. v. Jardine, 318 F.3d 900(9th Cir. 2003)。株主の移り変わり:Mark Dillon, Fifty Sides of the Beach Boys(2012年)、Jon Stebbins, The Beach Boys FAQ(2011年)による(いずれも二次資料)。  50 Big Ones:Billboard「The Beach Boys Sign With WME」(2019年5月28日)。独占的な許諾と票決:Mike Love, Good Vibrations(2016年)。
3 UPI(1989年9月18日)、Variety(2000年)。取り戻せなかった点は二次資料による。
4 米国著作権局V2873P205、V2873P214(1993年)、PA0000788561ほか(1996年)。裁判:Los Angeles Times(1994年12月13日)、Mike Love, Good Vibrations: My Life as a Beach Boy(2016年)。35曲は筆者が数えたもの。
5 米国著作権局V2870P001、V2870P032(1993年、担保の合意。当事者はMichael E. Love、Michael E. Love Entertainment Corporationと、Rondor Music International, Inc.ほか)、V9974D533(2020年)。弁護士報酬:Flynn v. Love(連邦地裁Nevada、3:19-cv-00239、2019年提訴)、Flynn v. Love(連邦地裁California南部、2021年7月7日の決定)、Law Journal Newsletters(2022年4月)。
6 米国特許商標庁の譲渡記録Reel 007041/Frame 0078–0089。会社の登録日:California州の法人登録の集約一覧(bizprofile.net、2026年10月10日閲覧)。米国著作権局V9974D533、V9973D961、V9973D962、V9986D679、V9986D404、V9973D891、V10000D065。
7 同上の証書と添付の証明書。Al Jardineの発言、他のカタログ売却との違い:Rolling Stone(2021年2月)、Music Business Worldwide(2021年2月18日)。各社の取引(いずれも報道):NPR(2020年12月7日、Dylan)、CBS News(2021年12月、Springsteen)、Music Business Worldwide(2024年4月4日、KISS/2024年6月20日、Queen)、Ultimate Classic Rock(2024年10月2日、Pink FloydとGilmourの発言)。訂正の対象は弊誌2024年5月の記事。TSDR登録第1081112号(2023年8月28日の住所・代理人の変更届を含む)、第2631628号、出願はJustia Trademarks(二次資料)による。Iconicの事業と顧客:Music Week(2024年2月15日)、Rolling Stone(2021年、Ronstadt/2025年10月15日、Sinatra)。
8 米国著作権局V9987D328(担保解除の一覧)。録音の特定は曲名と登録番号からの筆者の推定。見出しの例:Outsider(2021年2月)。
9 ASCAP ACE、BMI Songview(2026年9月閲覧)。Nevada州務長官の法人記録(NV19861010362)。

2026年10月15日木曜日

青野りえ:『TOKYO step』リリース・インタビュー

~WebVANDA推奨・今年聴くべきアルバム~


 女性シンガー・ソングライターの青野りえが、4thアルバム『TOKYO step』(FLY HIGH RECORDS/VSCF-1782 FRCD-086)を10月21日にリリースする。2023 年11 月の3rdアルバム『TOKYO magic』から約3年となる新作で、待ちわびていたファンも多いはずだ。
 本作では1st『PASTORAL』、2nd『Rain or Shine』を手掛けた鬼才シンガー・ソングライターの関美彦と、前作『TOKYO magic』を手掛けたThe Bookmarcsのメンバーで作編曲家の洞澤徹が収録曲のサウンド・プロデュースを分け合って担当するという豪華さである。
 更にThe Bookmarcs近藤健太郎が作曲して先行で配信していたシングル「フィナーレを待ちながら」をボーナス・トラックとして収録している。

 
本作前半の6曲の作編曲を手掛けた関美彦チームのレコーディングには、前々作『Rain or Shine』同様にベースの伊賀航(細野晴臣、星野源等)、ドラムスに北山ゆう子(堀込泰行、RYUSENKEI等)、ギターに山之内俊夫(花澤香菜、ROUND TABLE等)、ピアノには長谷泰宏(ユメトコスメ)といった手練プレイヤー達を迎えている。そして後半5曲の作編曲を手掛けた洞澤徹チームには、前作『TOKYO magic』に参加したベースの北村規夫、ドラムスには足立浩といずれも多くのセッションで知られるミュージシャン達が再び参加し、ギターとプログラミング、ミックスは洞澤徹自身で担当しているのだ。また関の前半曲のミックスと全体のマスタリングはこれまで同様に多くの作品でも知られる、マイクロスターの佐藤清喜に委ねられている。
 さらに洞澤が手掛けた新曲の「空と海のサンバ」では、キーボーディストとして、古くはLampの1stをはじめ多くのセッションに参加し、現在は自身のトリオでの活動が主となっている矢舟テツローが、ゲスト・ボーカリストとして参加しているのも要注目である。
 このように本作『TOKYO step』には、これまでの青野サウンドの集大成的なメンバーが勢ぞろいしており、アルバム・コンセプトである“ネオ・ディスコ”を各メンバー達によって繰り広げている。

 ここでは、筆者による本作『TOKYO step』に収録された全曲の詳細レビューと、青野へのテキスト・インタビュー、そしてソングライティングやレコーディング期間中にイメージ作りで聴いていたプレイリストをお送りするので、聴きながら読んで欲しい。

 
青野りえ ニューアルバム『TOKYO step』
全曲試聴Teaser 

 マスタリング直後音源を入手し聴き込んで早1ヶ月になるが、収録曲の解説をしていこう。
 冒頭の「スカーレット」は、ファーストテンポでスイングする北山のドラミングから始まる関の作編曲のハードエッジなジャズファンクだ。動き回る伊賀のベースライン、多重録音して縦横無尽な山之内のギターカッティング、ピアノでメインコードを奏でる長谷も相当インタープレイを織り込んでいるので、ヘッドアレンジを超えた、白熱した一期一会セッションのサウンドになっており、聴く者を釘付けにしてしまうだろう。
 関はテンションを効かせたブラス系シンセのパッド、リズムの核となっているラテン・フィールのクラベスをプログラミングして全体のトリートメントを施している。この様な完璧なサウンドに、青野の美意識と気品漂う歌詞とボーカルが乗るのだから堪らない。冒頭曲に相応しい完成度に脱帽するばかりだ。
 続く「トワイライト」は、一転してミッドテンポの1980年代の打ち込み系R&Bに通じ、北山の生ドラムに関がプログラミングしたシンセベースやキーボード類が主体となるサウンドだ。間奏では山之内がアーニー・アイズレー風のギターソロを披露し、青野による都会的な歌詞とクールなボーカルに呼応していて、ナイト・ドライヴィング・ミュージックとしても一興である。

ボーイフレンド

 10月14日に先行配信されたばかりの「ボーイフレンド」は、シャッフル・ビートで進行するソフトロック系のプリティなポップスだ。山之内はセンターのアコースティックギターと左チャンネルのモジュレーションを深くセッティングしたエレキギター、この手のサウンドを得意とする長谷は右チャンネルでアコースティックピアノをそれぞれプレイしている。またオブリを奏でるグロッケンやタンバリンなど効果的に配置されており、青野による歌詞は青春ベースボール系で、ユーミンの「まぶしい草野球」(『SURF&SNOW』収録1980年)に通じており、溌溂とした歌声も含めて好感が持てる。
 これまでの青野の歌唱やサウンド・スタイルから本作中最も踏襲しているのが、AOR系の「マーマレイド・タイム」だろう。シンセのリフや青野自身の多重録音によるスキャット、北山と伊賀のリズム隊による跳ねるグルーヴがひたすら気持ちいい。長谷はフェンダーローズ系のエレピとアコピを弾き分けて、山之内はエレキのカッティング、間奏ではアコースティックギターでソロを取るなどアレンジ的にもよく工夫されている。
 続くフランス語タイトルの「マシェリ」は、ワルツや6/8拍子を基本とした軽快なラヴソングで、この手の変拍子リズムでは北山のドラミングが光っている。「ボーイフレンド」同様に尺が2分台なので、もう少し聴いてみたい程、良い演奏と歌唱である。
 関が手掛けた前半(アナログだとA面)最後の「タイニー・ブルー」は、本作のコンセプト“ネオ・ディスコ”を最も体現しているダンス・ナンバーだ。リズムセクションで16ビートを刻むのはアコースティックギターのみで、極力音数を削って隙間を活かしたアレンジとミックスに仕上がっているので、各プレイヤーの巧みでタイトなプレイがより楽しめる。
 またインタビューのプレイリストで青野が触れている、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)のサウンド構築法にも通じるが、原点回帰というか70年代ファンク・ミュージックへの敬意を感じさせる。青野による巧みに韻を踏む歌詞やボーカル・スタイルからもダンス・ナンバーとして完成度が高い。本作からシングルカット(12インチ)するのであれば、間違いなくこの曲だろう。


恋する惑星

 昨年6月に配信リリースされたシングル「恋する惑星」からの後半5曲は、前出の通りThe Bookmarcsの洞澤が手掛けている。この「恋する惑星」はラー・バンド(The RAH Band)の「Clouds Across The Moon」(1985年)のオマージュである。本作『TOKYO step』のコンセプトのきっかけになった、この曲の歌詞は宇宙を舞台にしたラヴソングであるが、歌詞にミラーボールが出てくるのも聴き逃せない。マニアックな読者ならご存知の通り、ラー・バンドはビートルズの「The Long and Winding Road」(『Let It Be』収録/1970年)やポール・マッカートニーのウイングス時代の「マイ・ラヴ」(1973年)をはじめ、ジグソーの「Sky High」(1975年)等のドラマティックなオーケストレーションで知られる、英国人アレンジャーのリチャード・アンソニー・ヒューソンが1977年に妻と結成したプロジェクトである。
 日本において、「Clouds Across The Moon」のカバーやオマージュはこれまでも多々あり、1995年に電気グルーヴ在籍中の砂原良徳がファーストアルバム『CROSSOVER』でクラブ・ミュージック風にアレンジしたカバーが比較的早かった。オマージュ系では2013年に元AKB48の星野みちるがファーストアルバム『星がみちる』に収録した「私はシェディー」(作詞:星野みちる/作曲:はせはじむ)が特に知られるだろう。奇遇にもアレンジとプログラミングは、本作のマスタリングを担当しているマイクロスターの佐藤清喜だった。
 余談が長くなったが、本作収録ヴァージョンの「恋する惑星」がそれらと異なるのは、生楽器を多く取り入れてヒューマンで有機的なグルーヴにアダプトした点だろう。洞澤は全てのプログラミングに加え、右チャンネルでミュートさせたエレキギターのアルペジオを、ベースは北村がスラーを効かせたエレキベースを手弾きしている。この曲のグルーヴの肝となるシンセベース(※シングル・ヴァージョンはシンベ)だけに頼っていないところが新鮮でユニークなのだ。なお近年のヒューソンのインタビューによると、1985年のオリジナル・ヴァージョンのシンベは、当時としては旧式である日本のRoland製 モノフォニック・アナログシンセSH-5(1975年リリース)を使用していたという。

 続く「ASTER」は一転して、アコースティックギター(ガットギター)をメインにしたボサノヴァ・ソウルで、足立のドラムと北村のエレキベースによる生のリズムセクションが心地良い。コード進行も凝っていて、ヴァースからサビに入る手前でさり気なくテンションを効かせ、コーラスやホーン・アレンジも素晴らしく、リード曲ではないが耳残る隠れた名曲である。
 1980年代初期のブラックコンテンポラリー・サウンドに通じる「sweet escape」も触れずにはいられない。イントロからマーヴィン・ゲイの「Sexual Healing」(1982年)を彷彿とさせる、ウィスパー・コーラスやRoland TR-808系の簡素なドラムマシーンなど音数少ない空間で、北村のファンキーなエレキベースがグルーヴを形成していく。青野による都会的な歌詞と表現力豊かなボーカルと非常にマッチしている。


空と海のサンバ

 そして10月1日に先行配信された「空と海のサンバ」だが、この曲によって本作の終盤をビビッドに飾ってくれている。インタビューのプレイリストでは、ラー・バンドの「Sam the Samba Man」(1983年)をリファレンスにしたとのことだが、同曲で聴ける英国人によるプログラミング主体でサウンド全体をデフォルメ加工した80年代のキッチュな感覚(本曲でもアナログシンセ系SEが大胆にインサートされているが)より、洞澤のセンスでスリーリズムを生楽器の演奏にして、オーセンティックなブラジリアン・サンバ色を濃くしたことで、青野の声質や声域にマッチしたサウンドに仕上がっていると感じた。ここではスルドのパターンをロータムでプレイするなど、巧みなドラミングを披露する足立のプレイも光っている。
 またサビをはじめ、イントロやパート間でリフレインするコーラスでは、スペシャルゲスト・ボーカルの矢舟テツローとデュエットしており、青野のアルト〜メゾソプラノ系の透明感ある歌声に、矢船のバスバリトン・ボイスがブレンドすることで、ボーカル・パートのコントラストが際立ち、聴き手の心を高揚させて多幸感を与えてくれる。この感覚はブラジル伝説のシンガー、エリス・レジーナ(Elis Regina)が、同国の至宝とされたシンガー・ソングライターのシコ・ブアルキ(Chico Buarque)とデュエットで発表した「マスカレードの夜(Noite dos Mascarados)」(1967年)にも通じる感覚である。

 本編ラストの「Spoonful Love(スプーン一杯の愛)」は、そのタイトルから弊サイト読者ならジョン・セバスチャンが60年代に組んでいたフォークロック、ポップス・バンドのラヴィン・スプーンフル(The Lovin' Spoonful)をイメージさせるだろう。だがサウンド的には、嘗て弊誌監修で出版した書籍『ソフトロックAtoZ』で高評価した、ソフトロック~アコースティック・ソウル・デュオのアルゾ&ユーディーン(Alzo & Udine)や、1995年に日本でリイシューされ、渋谷系やギターポップ界隈でリバイバル・ヒットした、ハワイアンAORのテンダー・リーフ(Tender Leaf)に通じる、風の通しの良いヤング・フリーソウルに仕上がっている。青野のプレイリストでもアルゾのソロアルバムと、ハワイアンAORを代表するカラパナ(Kalapana)が挙げられているので、その親和性を感じてくれると思う。
 この曲でのサウンドの要は、洞澤による複数のアコースティックギターとエレキギターのカッティングで構築したギター・トラック、波打つような北村のベースライン、ドラム以外に足立がプレイしているコンガを含めたポリリズムの気持ち良さだろう。青野による清々しさを感じさせる歌詞の世界観やナチュラルな歌声が、それらサウンドに溶け込んで大団円を迎えるのであった。


フィナーレを待ちながら

 ボーナス・トラックには今年5月4日に配信シングルでリリースしていた、「フィナーレを待ちながら」を収録している。弊サイトでは当時レビューを紹介済みだが、青野の作詞と近藤の作曲という初のタッグで制作された1曲で、近藤らしいポール・マッカートニーの「Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)」に通じるその曲に、青野が歌詞をつけてローラ・ニーロやキャロル・キングなど70年代初期~中期のシンガー・ソングライター風のサウンドに仕上げられた、ピュアでナチュラルな心情を描いたラヴソングである。


青野りえ★インタビュー
“大貫妙子さんの『Grey Skies』のように、
1枚のアルバムに複数の制作チームが関わるような
スタイルも面白いのではないかと”

●前作『TOKYO magic』から約3年になりますが、この期間にどのような活動をされていたでしょうか?

◎青野:自主企画のワンマンライブをしたり、イベントに呼ばれて歌ったり、2024年からはk-mixのラジオ音楽番組「ようこそ夢街名曲堂」のレギュラーとして出演しています。

●この期間、次回作の歌詞のアイディアやモチーフをストックしたりするタイミングはありましたか?

◎青野:今回はストックなしで、すべて曲を聴いてから作詞に取り掛かりました。

●本作の曲作りとレコーディング期間を教えて下さい。またサウンド・プロデューサーが関美彦さんとThe Bookmarcsの洞澤さんのお二人のプロダクションになったことで、曲作りやレコーディング方法が各自で異なったと思いますが、そのプロセスはいかがだったでしょうか?

前列:青野りえ
後列左から:北村規夫、洞澤徹、足立浩

◎青野:洞澤さんとは昨年の4月に配信シングル「恋する惑星」の制作を始める時に、次のアルバムを見据えてのリリースであることを話しました。ラー・バンドみたいな音像のネオ・ディスコをやりたいというコンセプトはこの時から構想していました。洞澤さんと作るときは、まず洞澤さんがデモを作り、そこに私の歌詞と歌を入れた音源を返し、それを元に洞澤さんがアレンジを固めていくスタイルで、本番の歌入れまではオンラインでのやりとりです。
関さんの場合は、関さんの簡単な弾き語りデモを元に、レコーディングメンバーが全員スタジオに集まって、セッションをしながらアレンジを固めていくスタイルです。

●なるほど昨年リリースされたシングル「恋する惑星」が、本作『TOKYO step』のコンセプトのきっかけになっているということですね。またそれぞれのサウンド・プロデューサーのカラーが曲調にも出ていて興味深いです。洞澤さんが手掛けた同曲は打ち込み主体ながら生演奏も加えたヒューマンさが感じられて、ラー・バンド(The RAH Band)の「Clouds Across The Moon」(1985年)のオマージュが懐かしくも新しかったです。
一方で関さんのスタイルが顕著に出ているのは、冒頭の「スカーレット」だなと。明らかにレコーディング・セッションのヘッドアレンジで構築されたクールなサウンドです。青野さんのファーストアルバム『PASTORAL』(2017年)のタイトル曲にも通じる、スティーリー・ダン的手法がさすがだと思います。 この様にタイプが異なる2名のアレンジャー兼サウンド・プロデューサーを1枚のアルバムに迎えるというアイディアは当初から考えていたでしょうか?

◎青野:4枚目のアルバムはこれまでの3枚とは違うことをしたい、という気持ちは元々ありました。そんな矢先、ベースの伊賀さんと話していて、ラー・バンドみたいな音楽をやるなら関さんの曲も聴いてみたい、と言われたのがきっかけで、例えば大貫妙子さんの『Grey Skies』のように、1枚のアルバムに複数の制作チームが関わるようなスタイルも面白いのではないかと思うようになりました。


“今までのシティ・ポップの路線は一旦忘れて
新しい感覚の音楽をという意識はあった” 

●レコーディング中の特質すべきエピソードをお聞かせ下さい。 サウンド・プロデューサーの関さんと洞澤さん、レコーディング・セッションに参加したミュージシャンの方々はこれまでの作品にも参加されている訳ですが、あらたな発見などはあったでしょうか?

前列左から:長谷泰宏、青野りえ、
一人置いて北山ゆう子、関美彦、山之内俊夫
後列:伊賀航

◎青野:今回は関さんサイドのスケジュールがかなり限られていたので、まだ歌詞もできていない状態でアレンジを固め、楽器のレコーディングも先に完了し、完パケしたオケに合わせて私が歌詞を書いて歌って仕上げることになりました。オケだけでも素晴らしいクオリティだったので作詞のハードルが上がってしまい、かなりプレッシャーの中での制作となりましたが、なんとか納得のいく作品ができてホッとしました。関さんサイドの歌のレコーディングは自宅にて自分で録音したのですが、真夏の酷暑の部屋でエアコンを切ってレコーディングしたのがかなりの苦行でした。

関さんも洞澤さんもメンバーの皆さんも相変わらずのクオリティでした。今までのシティ・ポップの路線は一旦忘れて新しい感覚の音楽をという意識はあったと思います。

●曲先ならまだしも、”オケ先”で作詞していくというのは稀だし作詞家兼ボーカリストとしては大変な作業ですよね。アレンジのアイディア自体、歌詞の世界観をモチーフにしていくケースが多いと思います。関さんには事前に曲のタイトルやイメージのみ伝えていた感じですか? 

◎青野:関さんには私のイメージは伝えていません。関さんと歌詞について話し合ったことはあまりなくて、お互いに信頼していて任せてくれているような感覚があります。タイトルも歌詞ができてから最後にお伝えしました。


後列左から:青野りえ、矢舟テツロー、洞澤徹


●本作のジャケット・デザインも青野さん自ら担当されていますが、デザイン・コンセプトについてお聞かせ下さい。

◎青野:前作の『TOKYO magic』と同じく、「海外から見た東京」のイメージは引き継いで、新旧あらゆるジャンルのものが混在する東京の面白さ、例えばスカイツリーと五重塔の対比やビル群の中に現れる富士山などを散りばめて表現しました。
私の音楽も60年代〜90年代の様々なジャンルのお気に入りの音楽に影響されて形成されているので、時代を超えたノスタルジーとロマンチックな世界観を感じていただけたらと思います。


●ソングライティングやレコーディング期間中、イメージ作りで聴いていた曲を各サウンド・プロデューサーのお二人と挙げて下さい。

『TOKYO step』プレイリスト

●Sam the Samba Man / The Rah Band(『Going Up』1983年)
レトロなシンセとキャッチーなメロディと踊れるグルーヴ。アルバム全体のコンセプト・イメージです。「空と海のサンバ」のリファレンス曲でもあります。

●I Remember Yesterday / Donna Summer(『I Remember Yesterday』1977年)
関さんに今作の「レトロなディスコライクで踊れる曲を」というコンセプトを話した際に1番最初に挙げられた曲。

●I'll Play The Fool / Dr.Buzzard's Original Savannah Band
 (『Dr.Buzzard's Original Savannah Band』1976年)
こちらもアルバム全体のコンセプト。レトロなスウィング・ジャズとラテンとディスコの融合、フランス由来のクレオールならではのシックな雰囲気も大好きです。

●Gettin' Ready for Love / Diana Ross(『Baby It's Me』1977年)
関さんがリファレンスに挙げてくれた曲。「ボーイフレンド」はこの曲にインスパイアされたのではと思います。

●Sunday in New York / Joanie Sommers(『Come Alive!』1965年)
古き良き曲とうた。今作の関さんサイドはこのようなジャズ・テイストの雰囲気をまとっているのではと思います。

●On My Soul / Bruno Mars(『The Romantic』2026年)
テーマがディスコなので新しい音楽からも刺激を受けています。「タイニー・ブルー」の着想はこんなイメージでした。

●The Hurt / Kalapana(『Kalapana』1975年)
ハワイアンAORのナチュラルなグルーヴもアルバム全体のリファレンスでした。「マーマレイド・タイム」「Spoonful Love (スプーン一杯の愛)」のギターに片鱗がみられると思います。

●That's Alright (I Don't Mind It) / Alzo(『Alzo』1972年)
「Spoonful Love (スプーン一杯の愛)」はアコースティックな音色でグルーヴィを目指しました。

●Circle / Swan Dive(『Circle』1998年)
普遍的でキャッチーでグルーヴィなものをというコンセプトのお手本に。

⚫︎I Do My Best To Impress / Linda Lewis(「Not a Little Girl Anymore」1975年)
落ち着いた曲調ながらグルーヴを強く感じるリズムアレンジ、複雑だけどポップに感じるエレピの進行、そこがヒントになりました。

●Clouds Across The Moon / RAH Band(『Mystery』1985年)
言わずもがな、「恋する惑星」はこの曲へのオマージュ。 レトロなシンセの音に耳を持っていかれますが、実はとても美しいメロディで、R&Bテイストのアレンジにしても映える曲です。私がラー・バンドを好きな1番の理由は、リチャード・アンソニー・ヒューソンの上品な曲そのものにあります。




●リリースに合わせたレコ発ライブが確定されていますが、是非詳しくご紹介下さい。 

◎青野:矢舟テツローさんの出演が追加決定しました! 
関さんサイド、洞澤さんサイドを二部構成でお届けします。
このお二人が一度にライブに参加される機会は滅多にないと思います。
新曲はすべて披露する予定なのでどうぞお楽しみに。

 「青野りえ『TOKYO step』リリース・パーティ」

【日時】2026年10月17日(土)
OPEN 12:00/START 12:30(終演予定 14:30)

【会場】渋谷gee-ge
東京都渋谷区宇田川町3-10
いちごフィエスタ渋谷4F
TEL 03-6416-3468

【料金】前売¥3,800 (+1drink)/当日¥4,300 (+1drink) 

【出演】青野りえ(Vo.)/関美彦(G.)/洞澤徹(G.)/伊賀航(B.)/
北山ゆう子(Dr.)/長谷泰宏(Pf.)/矢舟テツロー(ゲストVo.)

【ご予約】こちらから>https://tiget.net/events/520919


●では最後に本作『TOKYO stepのアピールをお願いします。

◎青野:今作は、音楽を聴いて心躍るような、ご機嫌な気分になって欲しい!という想いを込めて作りました。
サウンド・プロデュースには、関美彦さんと洞澤徹さんの両チームを迎え、さらにボーナス・トラックとして、近藤健太郎の作曲による「フィナーレを待ちながら」を収録した盛りだくさんのデラックスな内容です。

そして今回は、矢舟テツローさんをゲスト・ボーカルにお迎えした曲「空と海のサンバ(feat.矢舟テツロー)」も要注目です。
矢舟さんは小西康陽さんのプロデュースでアルバムをリリースされたり、野宮真貴さんのサポートでも近年ご活躍中のピアニスト&シンガー・ソングライターですが、低音で独特の小粋な雰囲気を纏う矢舟さんのボーカルが加わったことで、目指していたサヴァンナ・バンドの雰囲気に近づけたのではないかと思っています。

古き良きシティ・ポップやAORへのオマージュはそのままに、よりグルーヴィに、ノスタルジーと宇宙と、現代の東京を行き来するようなロマンチックな楽曲をお楽しみください!



【青野りえ★プロフィール】
都会的なメロウ感と、無垢な透明感を併せ持つ歌声のシンガー。富山県出身。 1996年、亀渕友香率いるゴスペル・グループ“VOJA”のメンバーとしてデビュー。沖井礼二(TWEEDEES/ex.Cymbals)のソロ・プロジェクト“FROG”にゲスト・ヴォーカルとして参加。
またコナミ「pop'n music」「beatmania」等のゲーム音楽での歌唱や、資生堂、ユニクロの CMナレーション等、様々なレコーディング、ライヴ、TV、CM で活動している。
2017年、関美彦プロデュースによる1stアルバム『PASTORAL』(ヴィヴィド・サウンド)をリリース。
2022年、同じく関美彦プロデュースによる2ndアルバム『Rain or Shine』(FLY HIGH RECORDS)をリリースし、ジャパニーズAOR/シティ・ポップ・ファンの間で話題に。
さらに2021年にリリースした配信シングル「Never Can Say Goodbye」(洞澤徹プロデュース)が話題となり、2023年11月、3rdアルバム『TOKYO magic』 をFLY HIGH RECORDSからリリース。
2025年6月6日、洞澤徹プロデュースによるデジタル・シングル「恋する惑星」をリリース。
2025年12月5日、藍田理緒のデジタル・シングル「青いカケラ」(作詞:青野りえ/作曲:近藤健太郎)リリース。
そして2026年5月4日、デジタル・シングル「フィナーレを待ちながら」リリース。
2026年10月21日、待望の4thアルバム『TOKYO step』リリース。関美彦と洞澤徹がそれぞれプロデュースし、先行シングル「恋する惑星」「フィナーレを待ちながら」を収録した自信作。
現在、K-MIX(静岡エフエム)の音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」(土曜21:00〜)にレギュラー出演中。 

青野りえOfficial Web Site: http://aonorie.com
X(旧Twitter): @rie_aono
FLY HIGH RECORDS Official Web Site:https://flyhighrecords.hatenablog.com/

(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ)


2026年10月11日日曜日

青木孝明:『これから』

"拘り派シンガーソングライター・アルバムの鑑"

 シンガーソングライターの青木孝明が、8thソロアルバム『これから』(TOKYO MOR/MOR6961)を10月14日にリリースする。
 青木は弊サイトで2024年6月に紹介した、ムーンライダーズの鈴木博文トリビュート・カバー・アルバム『16 SONGS OF HIROBUMI SUZUKI - DON’T TRUST OVER 70 -』に参加し、ライダーズ・ファミリーのシンガーソングライターとしても知られている。

 まずは彼のプロフィールに触れよう。1992年に自主制作でアルバム『L/C』を発表し、この作品が鈴木博文に評価され、翌1993年には鈴木が主宰するメトロトロンレコードより『MY FRIEND IN THE SKY』で初の流通盤としてソロデビューする。その後30年以上に渡り、7枚のソロアルバム、バンド名義では2枚のアルバムをリリースしており、そのソロ活動以外にもギタリストやベーシスト、ボーカリストとしてThe Suzuki(鈴木慶一&鈴木博文)をはじめ、あがた森魚、ZABADAK(ザバダック)、綿内克幸、青山陽一、若林マリ子などのライブ、レコーディング等に参加している。近年ではギター、ボーカルで参加しているZABADAKでの活動が主となっているようだ。


 青木はマルチプレイヤーとして知られており、本作でもワンマン・レコーディンの収録曲が多いが、これまでの人脈を反映させたミュージシャン達も参加しバックアップしている。共同プロデューサーにロックバンド”THE BRICK'S TONE”の篠原太郎を迎えているのをはじめ、青木が長年サポートしてきたZABADAKを現在主宰する小峰公子が作詞で2曲に参加している。なお青木は、ZABADAKでリーダーだった吉良知彦のソロユニット期の1990年代半ばから準メンバーとして同ユニットに参加し、映像作品『“TRiO”at ON AIR EAST 1997.6.1』でその姿を観ることができる。小峰はKARAK(カラク)としてメジャー・デビュー後の1987年からZABADAKに作詞家として関わり、2011年に正式メンバーとなっている。私生活では吉良の妻で2016年吉良の逝去後は同ユニットを引き継いで活動を継続している。
 その他にも、2017年に杉瀬陽子と堀込泰行が結成したTHE LAKE MATTHEWSに参加していたキーボーディストでトロンボーン奏者の伊藤隆博、蓮沼執太フィルハーモニー・オーケストラのメンバーでトランペット、フリューゲルホルン奏者の三浦千明がそれぞれ参加している。1曲のみコーラスで参加している青木怜の経歴は不明だが、青木の親族かも知れない。
 アルバムのマスタリング・エンジニアは、ゆらゆら帝国やギターウルフ、SCOOBIE DOらの諸作をはじめ、以前弊サイトで紹介したポニーのヒサミツを手掛けていた、中村宗一郎(PEACE MUSIC)が担当している。


 
『これから』 Traillor

 ここからは筆者が気になった収録曲を解説していくが、注釈が無い曲は全てのソングライティングとアレンジは青木によるものである。
 冒頭の「New Song」は、イントロ~バースのアコースティックギターの特徴的なリフから発展させたシンコペーションが効いたパートと、ポール・マッカートニー・イズムなメロディアスなサビのパートのコントラストが際立ったロック・ナンバーだ。全ての演奏とドラムのプログラミングは青木が一人で担当しており、ボーカリストとしての表現力やテクニックも申し分ない。
 続く「真夏の日曜日」は、ZABADAKの小峰が作詞をしており、共同プロデューサーである篠原がコーラスで参加している。この曲では青木によるトワンギング・ギターのリフを聞いて理解すると思うが、カントリーロックがベースになっており、小峰の歌詞もショート・ロードムービー風である。篠原のコーラスが青木のボーカルによくブレンドしてこの歌詞の世界観をビビッドにしている。

 一転してエリック・サティ風のミニマリズムなピアノのコード進行を持つイントロから、トッド・ラングレン初期の名作『Runt The Ballad of Todd Rundgren』(1971年)に通じる曲調とサウンドへと展開するバラードの「叶わなくても」も触れずにはいられない。中盤から伊藤のトロンボーンと三浦のトランペットのホーンセクションが加わり、静かに盛り上げていくアレンジも素晴らしい。
 アコースティックギターとスキャットを中心としたインストの「不条理への情熱」は2分10秒の小曲だが、XTCの「Dying」(『Skylarking』収録/1986年)に通じるミニマリズムなコード進行が耳に残り、本作の中で良いアクセントになっている。

 本作後半に収録され、小峰が作詞したもう1曲の「夕焼けがきれいだから」はスローなラブソングで、詞と曲の完成度が収録曲の中でも極めて高い。亡きパートナーに語り掛けるような慈愛に満ちた歌詞に、8分刻みのピアノとアコースティックギターに導かれて始まるジョージ・ハリスン風の曲調で、ギターソロにもジョージの匂いがして好きにならずにいられない。筆者的にも本作中のベストトラックである。
 終盤の「これから」は、伊藤の巧みなピアノをフューチャーしたファーストテンポのポップスでリズム的にはボサノヴァのフィールも感じさせる。青木自身による歌詞には人生賛歌というべきメッセージ性が込められている。圧巻なのはカホンらしき低音が効いたパーカッションをバックに、青木怜も加わったサビの多重コーラスで、歌詞の世界を拡大させて感動的だ。
 ラストの「The End Of The Day」は前曲からクールダウンさせるスローなインスト曲だ。青木がプレイするアコースティックギターとチェンバロに、伊藤のトロンボーン、三浦のトランペットのホーンセクションで進行していくが、コーダでアナログシンセのソロが加わるのが新鮮である。

 最後に総評として、ソングライターとして多彩な曲を産み出し且つマルチプレイヤーであり、ボーカリストとしても非凡な、青木の才能に裏打ちされたアルバムに仕上がっていると感じた。筆者の詳細解説を読んで興味をもった読者は、リンクするECサイトから予約し入手して是非聴いてほしい。


ニューアルバム『これから』
 リリースツアー(ワンマン)

10/24(土)名古屋 御器所 なんや
open 18:00 start 19:00

10/25(日)大阪 北浜 雲州堂
open 13:00 start 13:30

11/15(日)吉祥寺ブラック&ブルー
open 12:00 start 12:30
with 篠原太郎、大槻敏彦、伊藤隆博(東京)、
西村哲也(名古屋、大阪)

ニューアルバム「これから」リリースライブ
アコースティックセット
2027.1/11(月、祝)中目黒Fj's
open 17:30 start 18:00
with 伊藤隆博

◎予約及び問い合わせ:melody_circle1@yahoo.co.jp 


 (テキスト:ウチタカヒデ)