2026年6月13日土曜日

Johnny Kidd & The Piratesについて

  

 Johnny Kidd & The Piratesといえば、"元祖パブロック"や、"ビートルズ登場以前のロックンロール" と言われ、Guess Who? やThe Whoなどにもカバーされた「Shakin' All Over」のヒットがとても有名だ。海賊ルックでカットラスを振り回すライブパフォーマンスは圧巻だったという。映像がほぼ残っていないのは残念に思う。シングル音源、未発表音源が集められたベスト盤を聴いてみると、メンバーの交代が多かったこともあってか、まさにパブロックの元祖というような曲もあればマージービートの影響が強い曲、オーケストラを加えた曲など様々。パブロックの他、ロカビリー、パンク、ガレージ周辺への影響は今でも大きいように見える。

Shakin' All Over Johnny Kidd & The Pirates

 1950年代後半、ジョニー・キッド(本名: フレデリック・アルバート・ヒース)は、The Five Nuttersなどいくつかのスキッフルバンドに所属し、ペンキ職人をしながら作曲活動も行っていたそうだ。The Five Nutters時代の未発表デモ「Shake, Rattle & Roll」「She’s My Blood Red Beauty」も2015年にリリースされている。(Moochin' About – MOOCHIN12)

 ジョニー・キッドと、マネージャーだったガイ・ロビンソン作の「Please Don't Touch」はJohnny Kidd & The Piratesのデビュー曲になるのだけれど、それ以前にこの曲はThe Bachelors(アイルランド出身の同名バンドとは異なる)に提供され、EMIのパーロフォン・レーベルからリリースされていたようだ。ジョニー・キッドは、その提供をきっかけに知り合ったEMIのHMVレーベルのマネージャー、ウォルター・J・リドリーからレコーディングテストを受けるように勧められて合格したことでHMVレーベルと契約する。そして1959年に自分達の「Please Don't Touch」をレコーディング、リリースした。この時、レコーディング名としてJohnny Kidd & The Piratesと名付けられた。オリジナルメンバーはリードボーカルのジョニー・キッド、リードギターのアラン・キャディ、リズムギターのトニー・ドハーティ、ベースのジョニー・(フルーツ)ゴードン、ドラムのケン・マッケイ。そしてマイク・ウエストとトム・ブラウンがバックコーラスとなる。実際にはHMVと契約していたのはジョニー・キッドのみで、他メンバーはセッションミュージシャンとしての起用だったよう。その後の活動期間中、把握しきれないほどメンバーの交代や追加のセッションミュージシャンの起用がある。

 3枚のシングルをリリースした後、The Piratesはアラン・キャディを残して再編成されクレム・カッティーニ(ドラム)、ブライアン・グレッグ(ベース)が加わった。4枚目のシングルは最大のヒットとなった「Shakin' All Over」で、もともとはB面収録を予定して作られた曲だった。スキッフル歌手のチャス・マクデヴィットの店Frieght Train Coffee Barの地下で、コーラの木箱に座って6分程で完成させたそうだ。バンドでファーストテイクを録った翌日、ゲスト参加したジョー・モレッティ(Vince Taylor and His Playboysの「Brand New Cadillac」への参加でも知られる)がリードギターと、ライターを弦に当てて鳴らした音をオーバーダビングした2テイク目で完成した。想像以上の出来栄えだったためA面に変更され、1960年にリリースされるとイギリスチャート1位のヒットとなった。

 ここからさらに3枚のシングルをリリースするもヒットは難しく、The Piratesの3人はバンドを離れてColin Hicks & The Cabin Boysに加入、後には「テルスター」のヒットで有名なThe Tornadosとして成功した。ジョニー・キッドはバックバンドを失い落胆していたけれど、新たにもともとThe Redcapsというバンドにいたジョニー・パットー(ギター)、ジョニー・スペンス(ベース)、フランク・ファーリー(ドラム)が加わり活動は継続した。

 1962年のこの頃、ジョニー・キッドはソロ名義でのシングルをリリースしている。クライヴ・ウェストレイク作で、マイク・サムズ・シンガーズのコーラスとオーケストラをフィーチャーした「Hurry On Back To Love」は、彼らの経歴の中で注目されることは少ないけれど、これはこれでとても魅力的だと思う。

Hurry On Back To Love / Johnny Kidd

 The Piratesは新体制となったものの、ジョニー・パットーが体調不良で脱退したため、ジョニー・スペンスとフランク・ファーリーは旧友のミック・グリーンを誘った。このミック・グリーンを加えたラインナップはJohnny Kidd & The Piratesの黄金時代と言われることも多く、Dr. FeelgoodやThe Who、The Rolling Stonesなど後世に大きな影響を与えている。このラインナップでリリースされた最初のシングルは1962年、アーサー・アレキサンダーのカバー、「A Shot Of Rhythm & Blues」だ。B面はボ・ディドリーのカバー「I Can Tell」。

I Can Tell / Johnny Kidd & The Pirates

 1963年になると、マージービートブームの影響を強く受け、この時のマネージャー、ゴードン・ミルズが作曲した「I'll Never Get Over You」をリリースした。これはイギリス4位のヒットとなった。B面は、ジョニー・キッドとミック・グリーン作の「Then I Got Everything」。

 同年、ゴードン・ミルズ作の「Hungry For Love」、B面はベン・E・キングのカバー「Ecstasy」のシングルをリリース。これらと同日に録音していたリトル・ウォルターのカバー「My Babe」と、エドウィン & アルヴィン・ジョンソン作の「Castin' My Spell」はThe Piratesのソロシングルとして1964年にリリースされた。

 次のシングルは、ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」に英詞をつけてアレンジした「Always and Ever」だった。そしてB面曲の「Dr. Feelgood」は、70年代の代表的なパブロックバンドDr. Feelgoodの名前の由来にもなった、傑作のひとつとして語られる曲だ。

 しかしこの頃からは、以前のキャバーン・クラブなどでのライブと異なり、ブラックプールで犬の出し物の後にライブをさせられるなど、退屈なショーが続きミック・グリーンはうんざりしていたそう。1964年の「Jealous Girl」のリリースを最後に彼は脱退し、Billy J. Kramer With The Dakotasに加入した。ジョニー・スペンスとフランク・ファーリーはバンドに残り、ギタリストが何人か加入脱退を繰り返すも失敗続きだった。

 1965年、カナダのバンドGuess Who? が「Shakin' All Over」をカバーし、大ヒットする。カナダで1位、アメリカで20位を記録した。Guess Who? はもともとChad Allan And The Expressionsというバンドだったのだけれど、当時カナダのバンドは興味を持たれにくかったため、レコード会社はこのシングルをGuess Who? の名義で偽装し、ブリティッシュ・インヴェイジョンに紛れたバンドであるかのように見せかけてプロモーションした。「Shakin' All Over」が大ヒットしたことで、その後もこの名前が定着してしまったそうだ。後にクエスチョンマークをとり、The Guess Whoとなった。この年、本家のJohnny Kidd & The Piratesも「Shakin' All Over」の新バージョンをリリースしているのだけれど、注目されることはなかったようだ。

 ミック・グリーン脱退後に4枚のシングルがリリースされ、その最後はジョニー・キッドのソロ名義で1966年にリリースされた「It's Got To Be You」だった。バックにジョニー・ハリス編曲のオーケストラ、バックボーカルにはThe Marionettesが参加し、ヒットを見込んでいたもののチャートインしなかった。

 この後バンドは解散し、落ち込んだ生活を送っていたジョニー・キッドが音楽活動そのものを辞めることも考えていた時、ジョニー・キッドに雇われていたオルガン奏者レイ・ソーパーが、ジョニー・キッドのファンだったベーシスト、ニック・シンパー(後にDeep Purpleに加入)に連絡をとる。ニック・シンパーは同じくJohnny Kidd & The Piratesファンのロジャー・トゥルース(ドラム)とミック・スチュワート(ギター)に連絡し、新しいThe Piratesとしてジョニー・キッドを誘った。彼らの演奏が素晴らしく、元気をとり戻したジョニー・キッドは再びツアーを開始する。もともとはソロに転向する予定で、黄金期のメンバー、ミック・グリーン、ジョニー・スペンス、フランク・ファーリーにThe Piratesを名乗る権利を許可していたため、(このThe Piratesの活動は2000年代まで続いた)ジョニーキッドの新しいバンドはJohnny Kidd & The (New)Piratesと呼ばれた。再び観客からの期待も高まり始めた最中だった。1966年10月、移動中のジョニー・キッドとニック・シンパーが乗っていた車が衝突事故を起こす。2人は病院に搬送され、ニック・シンパーは一命をとりとめる。しかしジョニー・キッドは病院到着時に死亡が確認された。最後のシングルになった「Send For That Girl」はジョニー・キッドの死後にリリースされた。


参考・参照サイト:

http://www.adiebarrett.co.uk/johnnykidd/index.htm

https://www.allmusic.com/artist/johnny-kidd-the-pirates-mn0000239961#biography

http://forgottenbands.blogspot.com/2009/10/red-e-lewis-redcaps-then-red-cats.html?m=1


執筆者・西岡利恵
60年代中期ウエストコーストロックバンドThe Pen Friend Clubにてベースを担当。



【リリース】

■ 2026年3月18日発売
2枚組 NEWアルバム
『Songularity - ソンギュラリティ』

   【全曲試聴トレーラー】
       
【LIVE】

■2026年6月20日(土)
名古屋・鶴舞KDハポン
【Songularity Tour 2026 in NAGOYA】

■2026年9月26日(土)
渋谷LOFT HEAVEN
【Add Some Music To Your Day】

チケット予約











2026年6月2日火曜日

回り出す絵、回り続ける音― Pet Sounds 60周年、 Zoetrope を選んだわけ

  2026年5月11日、Hollywood の名物、円塔状の Capitol Tower の頂きに、"Pet Sounds" と染め抜かれた一旒の旗が、五月の空に颯爽と翻っていた。塔の下では、ジャケットの緑と黄を敬意をこめてあしらった記念ケーキがシャンパンとともにふるまわれ、Mike Love、Al Jardine、Bruce Johnston が、新たに認定されたダブル・プラチナのプラークを UMe 会長 Bruce Resnikoff から受け取った。三人の Wilson 兄弟――Brian、Carl、Dennis――はもうそこにいない。代わりに、それぞれの遺族が祝杯をあげていた。兄弟は逝き、しかしその音はなお生きている。60年という歳月が、それを静かに証している。

 
Capitolリリースによるリール動画
今回のセレモニーの一部が見られる
Pet Sounds ケーキやクッキーも紹介されている

   

Carnie WilsonのFacebookリール動画
今回のセレモニーにも供されたPet Soundsクッキーの紹介
Los AngelesのSweet E's Bake Shop製とのこと

  1966年5月16日にリリースされた本作は、当時米国では冷ややかに迎えられ、Billboard のアルバム・チャートで最高10位にとどまった。RIAA のゴールド認定にいたっては、なんと2000年まで待たされている。要するに、世間がこれを傑作と気づくのに34年かかったということだ。

 もっとも、その34年のあいだに気づいた人々はいた。Paul McCartney は「Pet Sounds を聴いてないやつなんているのかい? そりゃ音楽の素養が抜けてるってことだよ」とまで言い、George Martin は「Pet Sounds なくして Sgt. Pepper は生まれなかった」と認めている。The Beatles の頭脳が二人がかりで脱帽しているのに、世間はヒットチャート10位程度の記憶で止まっていた、というわけだ。その60周年を、Capitol/UMe は複数のヴァイナル・エディションで迎えた。

まず、音にうるさい御仁が真っ先に手を伸ばすであろう本命が二種。

 Vinylphyle Edition(2LP)は、LP1 に1966年のモノ、LP2 に Brian Wilson 監修・Mark Linett による1996年ステレオ・ミックスを収める。Sterling Sound の Joe Nino-Hernes がアナログ・テープからカットし、RTI が180g 盤にプレス。初回3,000枚、厚紙にプリント紙を貼り合わせた、当時の LP のような重厚な見開きジャケット。これに4面の冊子と Howie Edelson の新規ライナーが付く。
 この Vinylphyle がモノと1996年ステレオを一枚ずつ収めているのも、いかにもこの企画らしい配慮である。同じアルバムでありながら、1966年のモノと、Brian Wilson 監修のもと Mark Linett が1996年に手がけたステレオとでは、音像の置きどころも、声の溶け合い方も微妙に異なる。とりわけ God Only Knows の終結部のように、幾重にも重ねられたコーラスが渦を巻く箇所では、その差はちょっとした聴きどころになる。どちらが正解ということではない。一枚の傑作が二つの姿で並んでいる――そう思って聴き比べるのが、この二枚組の楽しみ方だろう。
 一方、その上をさらに行こうとするのが Definitive Sound Series(1LP、6,000枚個別ナンバリング)である。メッキ工程を省く One Step 方式を用い、Bernie Grundman Mastering の Chris Bellman がカット、Neotech VR900 D2 の180g 盤にプレスし、一枚ごとに製造工程を記した認証書まで付く。だが、この盤の白眉は音源にまつわる物語のほうだ。Pet Sounds には世界に四百近いプレス違いが存在し、どれが最良の音かはコレクターの間で長らく語り草だった。
 なかでも別格とされてきたのが、1970年代初頭に Brother Records から出た一枚――新作の Carl and the Passions『So Tough』との2枚組として、1972年に世に出たプレスである。当時 The Beach Boys は Capitol との和解で、1965年以降の旧譜の版権を10年間取り戻していた。Pet Sounds をはじめとする Capitol 時代の名盤を、Brother/Reprise が改めて市場に出せる立場になったのである。その第一弾の再発が、なぜか新作 So Tough との抱き合わせだった。続けて1974年には Friends と Smiley Smile、Wild Honey と 20/20 と、Capitol 旧譜を二枚一組で立て続けに再発していく。Pet Sounds はその一連の Capitol 旧譜再発の最初の弾として、たまたまあの透明な音質で世に出たのだった。

 Mike Love は後年、この抱き合わせを「バンドの新生戦略を台無しにする思いつきだった」と苦々しく振り返っている。もっとも、その新生戦略そのものも、わずか二年後に皮肉な形でひっくり返される。1974年、Capitol が古いヒット曲を集めて出した編集盤 Endless Summer が、なんと全米一位、155週チャート滞在、三百万枚突破の大爆発。Brother/Reprise で革新的な新作を作るより、Capitol の再発ベスト盤の方がはるかに儲かる、という皮肉な現実が突きつけられた。あれほど抱き合わせを罵った当の Capitol 作品群が、いまやバンドの皮肉な救世主に化けたのである。売れる、と分かった途端、罵詈雑言は感謝の辞に化ける――業界とはそういう場所だ。

 制作チームは資料を漁るうち、「Reprise Master」と記された一本のアナログ・テープを掘り当てた。Brother Records 作品を配給していたのが Reprise だった、その符牒であるという。Chris Bellman が照合すると、収録時間もカタログ番号もぴたりと一致した。DSS チームによれば、半世紀ものあいだ、ほとんど誰の耳にも触れぬまま眠っていた、あの伝説のプレスの大元のテープだという。それを起こした、コレクター垂涎の一枚である。

 制作の舞台裏に興味が向く向きには、Pet Sounds Sessions Highlights(2CD / 2LP、黒盤と white/green splatter の二種)。1997年の4枚組ボックス『The Pet Sounds Sessions』から、25曲のオルタネイト・テイク、ア・カペラ、トラッキング・セッションを抜き、そのすべてをヴァイナル初収録した。Howie Edelson による新規ライナーと詳細なセッショノグラフィが付く。

 そして Zoetrope vinyl(1LP)。ターンテーブルの上で回転させると、盤面の絵が「動いて見える」picture disc である。ジャケットにも一工夫あって、あの子ヤギたちの部分だけ、印刷の質感がほかと違っている。収録はモノ・ミックス。先の本命二種とは別系統の音源と思しく、音質を競う盤ではないが、Brian が選んだ「モノ」という姿勢そのものは保たれている。

 真空管プリアンプを灯し、往時のオンボロ大衆機プレーヤーをだましだまし動かしては、古い盤の音を楽しんできたのが筆者である。読者の多くは、そんな筆者が買うのは Vinylphyle か DSS のいずれかだろう、と予想されていたに違いない。お察しの通り、と言いたいところだが、今回ばかりは予想を裏切ることになる。筆者が取り寄せたのは、よりによって picture disc――盤を回せば絵が動き出すという、あの色物の Zoetrope vinyl だったのである。もっとも、収められているのはモノ・ミックス。色物の見た目に反して、Brian がこのアルバムに与えた「モノで聴かせる」という根本の姿勢だけは、ちゃんと押さえてある。
 だが、ここで一度立ち止まる。そもそも Pet Sounds は、整った modern jazz を静謐なオーディオ・ルームで味わうように、180g 重量盤を高級カートリッジで丁重にトレースして聴くべきレコードなのだろうか。否、である。これは1966年の米国の十代が、安物のポータブル・プレーヤーにセラミック・カートリッジを載せ、針圧などお構いなしにガンガン鳴らして聴いた音楽だ。ハイ出力のセラミック型が中域を前へ押し出す、あの少々歪んで、しかし生々しい音――そこでこそ、このアルバムに封じ込められた若者の屈折した情念の塊が、むき出しのまま絞り出されてくる。それが本筋の聴き方だった。高音質を謳う精緻なリマスター盤は、その情念をいったん澄んだガラスの向こうに整理し直してしまう。美しいが、Pet Sounds が本来鳴っていた場所からは、ほんの少しだけ遠い。
 だからこそ、なのである。Zoetrope vinyl は、音質の純度を競う土俵から最初に降りている。針が落ちた瞬間に絵が回り、音と視覚が回転の上で一致する――その玩具じみた仕掛けは、高級機の前に正座して拝聴するのではなく、十代がレコードを一個の物として面白がり、夢中で回した、あの聴き方の記憶に近い。今回ばかりは、音の純度ではなく、回り続ける物体としての体験を、そして情念がまだ整理される前の生々しさを、選んだのである。
盤は、まもなく届いた。


 Zoetrope 盤のジャケットは、あの子ヤギたちの部分だけ、ほかと違う質感に仕上げてある。撫でてみると、ヤギの背中だけが指の腹にざらりと立ち上がってくる、その手の凝りようだ。

Carl Brianあたりのヤギたちの質感が少し違う

 内袋から円盤を抜き、明かりにかざしてみる。盤面には、はっきりと幾つもの像が刻みつけられている。「Sloop John B」のプロモーション映像のグループの姿、「Good Vibrations」の有名な映像で見た作業中の Brian、レコーディング中の Dennis、同じく Mike――The Beach Boys 史の名場面が、円盤の一枚にぐるりと並んでいるのである。盤を裏返せば、こちらは一転して文字の意匠で、Pet Sounds の四文字が一面びっしりと敷き詰められている。儀式めいた手つきで、筆者は表を上にして、それをターンテーブルに載せた。



 33回転。盤は回り始める。途端、緑をベースに、名場面の色という色がそれぞれに混じり合って、目の前で渦を巻きはじめた――これはこれで一個の抽象画として美しいのだが、肝心の絵は像を結ばない。当然だった。zoetrope の像は素眼では決して立ち上がらない。少しずつ異なる絵が次々と目の前を過ぎ、残像が互いに重なって、色の渦に溶けてしまうからだ。本物の zoetrope は、回転する筒の壁に細いスリットを切ってあって、覗き穴がそのスリットを通る一瞬だけ絵を見せ、あいだは闇に隠す。そうやって連続を細切れに分けることで初めて、絵は動き出す。盤面に絵を刻んだこの picture disc も理屈は同じで、回転に同期した「途切れ」がなければ、絵は像を結ばない。古典的な解は暗室でストロボを焚くこと。だが、もっと手軽な解が現代にはある。筆者は微笑しながらスマホを取り出した。真空管プリの灯を背に、スマホを動画撮影モードに切り替え、画面越しに盤面を覗き込む。スマホの画面は、毎秒およそ30フレームの早さで更新されていく。一枚一枚のフレームが、回転する盤の異なる瞬間を切り取り、画面上で連続再生される――それはまさに、回転筒のスリットを覗き込むのと同じ仕掛けである。シャッターが回転を細かく刻んだ瞬間、画面の中で、静止していたはずの像がぬるりと動き出した。セラミック・カートリッジで若者の情念を絞り出してきたはずの男が、磨き上げた機材ではなく、手のひらの板きれ越しに、レコードの上で踊る絵を覗き込んでいる。
これはこれで、悪くない儀式だった。

 

  回転する盤の上で、当時の声がよみがえる。この60周年に合わせ、いまも歌い続けるメンバーたちが当時を語った記事がいくつも出ている。なかでも米 Variety 誌や AP 通信(いずれも2026年5月)は、記念式典の前後に Mike Love、Al Jardine、Bruce Johnston へ取材し、Pet Sounds をめぐる証言を引き出していた。取材中、Al Jardine は Hollywood のランドマークの上階の窓の外をカモメが舞っているのに目をとめ、太平洋までがこのアルバムを祝福しているようだ、と笑ったという。そして Al Jardine は、「Sloop John B」誕生のくだりをこう語っている。バンドを始めた頃から、自分はフォークソングをやりたかった――と。もっとも、その願いはなかなか叶わなかった。そもそも The Beach Boys がサーフィンの歌で売り出したのは、サーファーだった Dennis Wilson のひと声がきっかけだったという。自分たちはサーフィンをやっているのだから、その歌を作ればいい、と。それがそのままバンドの看板となり、フォークの出番はずっと後回しにされてきた。それでも Al は諦めず、もとは "The Wreck of the John B" と呼ばれていたこの曲を Brian に持ちかけ、「コードをひとつ足そう、ハーモニーを広げられる、このフォークソングを The Beach Boys の曲にできる」と説いた、と。そして、1958年にこの曲を吹き込んだ Kingston Trio を自レーベルに抱えていた Capitol Records に感謝する、とも言い添えた。それがこの好機を与えてくれたのだ、と。
 Al が言う「コードをひとつ足す」とは、控えめな言い方である。その実、半世紀以上にわたって語り継がれてきた逸話は、もう少し具体的だ。フォーク好きの Al が、ピアノに向かう Brian に Kingston Trio 版を弾いてみせたところ、Brian は「Kingston Trio は得意じゃない」とにべもなかった。それでも諦めず、Al は原曲のままでは「通用しない」と見た。三つの和音だけで素朴に進むフォークの、サブドミナント(IV)からトニック(I)へ明るく戻る、その素直な解決の途中に、Al は二度の短和音(ii)をひとつ滑り込ませた。長調の中に、半瞬だけ短調が翳る。IV → I という単純な往復を、IV → ii → I という三角形の寄り道へと変えたのだ。たったそれだけの工夫で、平板だった折り返しに「ふっ」とした陰影が生まれ、ヴォーカルがコーラスを広げる余地ができた。あの「I wanna go home...」を支える独特の哀切は、この一つの ii から始まっている――そう The Beach Boys 流に組み替えてみせ、翌日には Brian がスタジオへ呼んでいた、というのが Al 自身の証言であり、ライナーノーツにも刻まれた定説である。素朴な海の歌が、わずか一日で、あの緻密なポップ・コーラスの傑作に化けたのである。
 その Brian の凄みは、Mike Love の有名な皮肉に裏返って残されている。完成途中の音を聴かされた Mike が、こんなものは誰の耳に届くんだ、と Brian に向かって言ったというのである――「犬の耳にでも届くのか?(The ears of a dog?)」と。バンド内随一の売れ線派だった Mike にとって、Brian が踏み出したこの内省的で実験的な領域は、売れる The Beach Boys の方程式から外れた危なっかしい寄り道に見えていた。だからこその「犬の耳か?」だったわけだが、揚げ足取りのつもりだったろうこの一言を、Brian はかえって気に入ってしまう。録音の幕切れには、Brian の愛犬 Bananaと Louieの吠える声が、過ぎゆく汽笛とともに忍ばせてある。アルバム名は Pet Sounds――ペットの音、と決まった。もっとも、誰がこの題を発案したかは諸説あって、Brian は「Mike のあの皮肉が着想源だった」と語り、当の Mike は「犬が吠えていたから自分が『Pet Sounds と呼ぼう』と言ったのだ」と譲らない。どちらが正しいかは、もう確かめようがない。確かなのは、犬の声と一枚の名盤が、互いに名を貸し合っていたという事実だけである。以来 Mike は Brian を「Dog Ears」――犬の耳――と呼ぶようになった。他の人間には聴き取れぬものまで録音から拾い、ついでにメンバーの不純な思考まで聴き分けてしまう、というわけだ。ついでに Mike は、当時のスタジオでの Brian を「Stalin of the Studio(スタジオのスターリン)」とも呼んでいたと、後年笑いながら振り返っている。完璧主義の独裁者、ということなのだろう。商売の物差しで毒づいた男と、その物差しに収まらぬ耳をもった男――皮肉が逆向きに刺さってアルバムの題になったのだから、世の中、わからないものである。
アルバムの商業的失敗は、Brian に深い影を落とした。Mike Love は振り返る――あれほど多くを注ぎ込み、あれほど力を尽くしたのだから、Capitol Records のあの冷淡な扱いに、彼が打ちのめされなかったはずがない、と。

 Bruce Johnston の加入経緯は、本人の口にかかるとあっけないほど身も蓋もない。「僕は Columbia Records の A&R マンだった。Mike が電話してきたのは、業界の人間を一通り知っていたからだ」。レコード会社の内側で新人を発掘し、プロデュース・アレンジ・契約を取りまとめてきた男――その業界知識ごとバンドに呼ばれた、というわけだ。1965年加入の彼は、Pet Sounds 録音のほんの少し前に合流したばかりで、60年後のいまもなお「新参者」と冗談半分にからかわれる。六十年経って「新参者」――こうなるともう、終身名誉新参者と呼んでさしあげるべきだろう。とはいえその「新参者」は、全13曲からなる Pet Sounds のうち、6曲ほどでバッキング・ヴォーカルに加わっていたとされる。ゴールド認定が2000年まで遅れた理由を問われると、Bruce は元 A&R マンの顔に戻った。Capitol がつけたと言っていた宣伝予算は、Pet Sounds ではなく別のところに流れていたのだ――そう皮肉まじりに種明かしをしてみせる。今でこそ「Pet Sounds は名盤」と讃えているが、内側ではドル箱の別の盤に予算をつぎ込んでいた、業界の二枚舌。商売とは、つまりそういうものなのだ、と。A&R マン時代に、レーベルがどう数字を粉飾し、どう旧譜を黙殺し、どの口実でプロモ予算を新譜の弾に付け替えるか、ラジオを回すための袖の下――いわゆるペイオラ――が誰の懐にどう流れるか、そのえげつない裏側を散々見せられてきた男の言葉だけに、説得力がある。
もっとも RIAA の記録をたどると、真相はもう少し間が抜けていて、そのぶん可笑しい。そもそも RIAA は、レーベルが全出荷記録を添えて正式に申請しないかぎり、指一本動かさない。ところが Capitol は、肝心のその書類をどこかへやってしまっていた。数年越しでようやく申請にこぎ着けたかと思えば、出荷履歴を掘り起こせずに取り下げる始末。結局2000年、直近15年分の数字だけをかき集めて、ようやく再申請に漕ぎつけた。逆算すれば、この不朽の名盤は34年かけて50万
枚――年に1万5千枚ずつ、つまり一日およそ40枚という、実に慎ましいペースでゴールドに到達したことになる。同じ2000年2月、R&B 歌手 Angie Stone(2025年に他界)のデビュー作 Black Diamond は、発売わずか4か月でゴールドに認定されていた。同じ月の認定リストに、片や4か月、片や34年。だが、この不思議な数字は統計のいたずらに過ぎない。RIAA が数えるのはレコード会社から店舗へ「出荷」された枚数で、客がレジでいくら買ったかは映らない仕組みになっているからだ。一方、Billboard 誌のチャート集計元として知られる SoundScan という別の追跡会社は、1991年から全米の小売店のレジ・バーコードをスキャンして、実際にレジを通った枚数を数えてきた。その数字をひもとくと、Pet Sounds は1991年からの九年間だけで21万枚も売れていた。要するにこの傑作は、売れていなかったのではない。誰かの机の引き出しの奥で、自分を証明する一枚の書類が見つかるのを、34年間ただ黙って待っていたのである。

 60年が過ぎた。針を落とせば、肉眼には見えぬ絵が盤の上で回り出し、回転の中から Wouldn't It Be Nice の最初の一音が立ち上がるなんて、とっても素敵なことじゃないか?。Brian の耳だけが聴いていた音は、いまも止まることなく回り続けている。私はその回転を、ただ眺めていたかったのだ。


2026年5月17日日曜日

TOYONO:『夢の続き』

ネオシティポップへ リオからの回答

 和製ブラジル音楽シンガー・ソングライターのTOYONOが、音楽活動デビュー25周年記念を飾る今年、7thアルバム『A Delicadeza do Instante 瞬間の繊細さ』からの先行シングルとして、竹内まりやの『夢の続き』(unchantable records / UCT-065)をカバーして、アナログ7インチで5月27日にリリースする。


 前作『黒髪のサンバ』(VICL-64639)から、実に10年振りとなるニューアルバム『A Delicadeza do Instante』には期待が高まるばかりだが、その完成度を計り知れるのが、この7インチ『夢の続き』と言えるだろう。
 オリジナルは竹内まりやの15thシングルとして1987年7月にリリースされた、映画『ハワイアン・ドリーム』(監督:川島透)の主題歌で、竹内のソングライティング、夫である山下達郎がプロデュースとアレンジを務めていた。同年8月の7thアルバム『REQUEST』にも収録され、同アルバムはキャリア初のミリオンセラーとなり、竹内の代表作となったのは弊サイト読者ならご存知だろう。「夢の続き」はその重要曲とされるが、後の2010年代中期のシティポップ・リバイバルで世界的に注目された竹内の「プラスティック・ラヴ」(1984年4月)と同様、この曲もクラブDJに人気が高く、今回の7インチシングルにもAKAKAGEことDJ兼音楽プロデューサーの伊藤陽一郎による、フロア仕様リミックス・ヴァージョンをカップリグ収録している。因みに伊藤は『黒髪のサンバ』に収録された「brasilian colors」の作曲者でもあり、以前からTOYONOサウンドに貢献していた。

マルコス・スザーノ
(Marcos Suzano)

 日本においてブラジリアン・ミュージックに大きく貢献してきたTOYONOが、シティポップ・ナンバーの中でも人気の「夢の続き」を、リオデジャネイロ在住の現代MPBプロデューサー兼マルチプレイヤーのギリェルミ・ジェ(Gilherme Gê)と、オンラインにより共同で再構築した結晶がこのカバー・ヴァージョンなのだ。
 そもそもTOYONOにジェを推薦したのは彼女の師匠である、世界最高峰のパンデイロ(ブラジリアン・タンバリン)奏者のマルコス・スザーノ(Marcos Suzano)で、今回のリオ・レコーディングにも参加しているのが嬉しい。その他にもジェの音楽仲間のクラウディオ・インファンテ(Claudio Infante)がドラム、マルセロ・レゼンデ(Marcelo Rezende)がコーラスで加わっている。
 1990年代にパンデイロ奏法に革命を起こしたスザーノについては説明不要かも知れないが、日本の音楽界にも信奉者が多く、THE BOOMの宮沢和史から山崎まさよしなど著名アーティストにまでその影響力は及んでいる。なおスザーノがギタリストのレニーニとのユニットで1993年にリリースした『Olho De Peixe(魚眼)』は一家に一枚の必聴アルバムであることを付け加えておく。

TOYONO「夢の続き - Album Original version -」Teaser

 原曲では山下が好んで聴いていた、当時のCameoやIsley Jasper Isley等からの影響が強いプログラミングされたリズムトラックを主体とするサウンドで、サビは後に牧瀬里穂に提供した「Miracle Love」(1993年)などに発展していく”竹内まりやイズム“な作風だったが、ここでのカバー・ヴァージョンではBPMを落として、ジェによるアコースティックギターやエレクトリックピアノ、クラヴィネットの刻みに、スザーノの各種パーカッションとインファンテのドラミングが加わって、よりヒューマンなグルーヴになり風通しのよいサウンドになった。これはブラジリアン・ミュージシャンによるリオ・レコーディングのなせる業だろう。
 主役であるTOYONOのボーカルは東京のNK SOUND TOKYOでレコーディングされ、歌詞のテーマである不毛の恋愛からポジティブに立ち直ろうとする姿を、表現力豊かに一級の歌声で聴かせている。
 カップリグのAKAKAGE's Back to 90's Remixヴァージョンでは、シェイク系のややアップテンポなリズムトラックにアダプトされ、90年代ハウスミュージック風のピアノは、大阪を拠点に活動するキーボーディストの岩井ロングセラー(Iwai Longseller)がプレイして、クラブ仕様のサウンドに仕上げている。この7インチのアートワークにも触れるが、なんと、このリミックスをしたAKAKAGE=伊藤陽一郎自身が手掛けているおり、その多才さで八面六臂の活躍をしている。




 2026年にソロデビュー25周年を迎えたTOYONOは、その歩みと新たな挑戦を刻むリオ制作の記念アルバム『A Delicadeza do Instante 瞬間の繊細さ』を携え、5月23日にTOKYO FMホールにてアニバーサリー公演を開催する。
 リオ音楽の革新を牽引し、世界へ響きを広げてきた名手であり、デビュー前からTOYONOを導いてきた世界的パーカッショニストのマルコス・スザーノが、この公演のためだけに来日する。

TOYONO 25 周年記念公演
feat.マルコス・スザーノ(from Rio)
〜ブラジルへの憧れ、歌と鼓動〜

ソロデビュー25 周年を迎えた
ブラジル音楽シンガー・ソングライターTOYONO
その歩みと新たな挑戦を刻む記念アルバムを携え
デビュー前から彼女を導いてきた世界的パーカッショニスト
マルコス・スザーノをブラジルより迎え
TOKYO FM ホールでアニバーサリー公演を開催する。

【出 演】

TOYONO (vocal)

藤本一馬(guitar) / 榊原大(piano) / 宮地遼(bass) / 沼澤尚(drums)
/ maiko(violin) / 橋本歩(cello)

スペシャルゲスト:マルコス・スザーノ(percussion) 

【日 時】2026 年 5 月 23 日(土)

開場 16:30/開演 17:00

【会 場】TOKYO FM ホール

【料 金】全席指定 8,000 円(税込)

【予約】キャピタルヴィレッジ予約サイト:こちらをクリック

【主 催】TOKYO FM

【企画制作】ゲンプランニング/キャピタルヴィレッジ

【後 援】駐日ブラジル大使館/富士急行/調布 FM

【お問合せ】キャピタルヴィレッジ
Tel.03-3478-9999(平日 12:00~17:00)



TOYONO・プロフィール
OL時代に耳にしたブラジル音楽への想いが高まり、歌い手の道を志して単身でリオデジャネイロへ渡る。帰国後、東京を拠点に本格的な音楽活動を開始。
有名DJやブラジルを代表するアーティストとの作品を多数発表し、2016年ビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー。
2018年よりFM番組「TOYONO moda brasil」のパーソナリティを務め、ブラジル音楽の魅力を広く発信。深い造詣と語学力を生かし、ブラジルの著名アーティストへ通訳を介さずポルトガル語でインタビューを行うなど、日本とブラジルの音楽的架け橋として活動している。
さらにナレーションや執筆など多方面でも才能を発揮し、新しいブラジル音楽シンガー像を確立している。代表曲「トレス・マリアス」はJAL国際線機内放送に採用されるなど高い評価を得ている。
TOYONO・オフィシャルサイト:https://toyonomoderno.jp/

※TOYONO 『夢の続き』 disk union 予約:こちらをクリック

 (テキスト:ウチタカヒデ/協力:グルーヴあんちゃん