2026年7月1日水曜日

イエスハッピー!/吉田哲人『I Saw The Light』吉田哲人インタビュー

”アイドル業界屈指の名士作のエールソング”

 2人組アイドルグループのイエスハッピー!が、デビュー15周年となるアニバーサリー・イヤーの第一弾として、作編曲家でシンガー・ソングライターの吉田哲人の書き下ろしの新曲を短冊CDとして7月7日にリリース(NARISU RECORDS/NRSD-3171)する。

 本作はイエスハッピー!と吉田哲人の連名で両A面でのリリースとなり、それぞれのボーカル・ヴァージョンが収録されている。
 吉田の作編曲にイエスハッピー!の2名が作詞したこの友愛に満ちた曲は、イントロのソフトロック風コーラスから高揚感のあるポップスで、各パートの随所に吉田らしいエッセンスがちりばめられていて完成度が高く聴き飽きない。吉田は全体のプログラミングに各種キーボード、ベース(リッケン4003s)を生演奏している他、ブラス・アレンジも担当している。ゲストとしてアコースティック・ピアノの演奏と多彩なストリングス・アレンジは、吉田の盟友であるユメトコスメの長谷泰宏が参加している。
 また坂村健次によるジャケットの両面のデザインは、嘗て小沢健二とスチャダラパーのコラボレーションでヒットした『今夜はブギー・バック』(1994年)のそれをオマージュしていて、マニア心をくすぐった。


イエスハッピー!
(左からこころ、さやか

 イエスハッピー!のプロフィールに触れるが、彼女達はさやかとこころの女性2名で結成されたアイドルグループである。共に島根県松江市出身で、中学、高校の同級生だったが、ハロー!プロジェクト・ファンという共通の趣味を知ってから親しくなったという。高校卒業後アイドルを目指していたこころは、数々のオーディションを受け、関西最大都市の大阪にも足を運んでおり、大学進学で同地に移住していたさやかの住まいに通って最終的に同居するようになる。2008年頃にはイエスハッピー!の前進となるユニットを2人で組み、ショッピングモールや地域のイベントスペースなどフリーステージを中心に、アイドルソングやアニソンをカバーしてパフォーマンス活動をしていた。
 その後さやかの就活がきっかけで、芸能事務所アップフロント関西支社と接点を得て、同社が経営するハロー!プロジェクトのオフィシャル・ショップ大阪心斎橋店に揃って勤務し、2011年にはイエスハッピー!として同事務所に所属して正式にグループ活動を開始した。
 2016年には同事務所を退社し、フリーを経て独立事務所 ”ミケネコカンパニー” を設立し現在に至る。彼女達はこれまでに4枚のアルバムと2枚のミニアルバム、シングルは6枚リリースしており、関西を拠点に日本全国で精力的にライブ活動を繰り広げてファン達を魅了している。


吉田哲人

 続いて吉田哲人だが、98年にThe Orangersとしてデビュー後、様々なコンピレーションへの楽曲提供やリミキサーとして参加し、2001年には小西康陽氏が主宰するReadymade Entertainment所属のマニピュレーターとして多くのプロダクションに関わっていく。鈴木亜美やきゃりーぱみゅぱみゅといったメジャー・アイドルから、竹達彩奈やNegicco、チームしゃちほこ、私立恵比寿中学、WHY@DOLL(ホワイドール)など新鋭の若手アイドルの楽曲に関わり、彼女達の熱心なファンの間でもよく知られた存在なのだ。2023年11月22日には、シンガー・ソングライターとして記念すべきファースト・ソロアルバム『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』をリリースして高い評価を得ていた。翌2024年7月7日には芸大時代の先輩で、サウンドクリエイターとして知られる田中友直とのエレクトロニック・デュオ”BABY JOHNSONZ”として、『BABY JOHNSONZ e.p.』を短冊CDでリリースしてテクノ・ファンに注目されていた。
 弊サイトでは、なりすレコード代表の平澤直孝氏(ムーンライダーズ関係コンピレーションアルバムのコーディネートでも知られる)の紹介により、2023年9月から1年に渡り『わたくしのオフコース』と題した連載コラムを寄稿して読者にも好評だった。

関連記事
★吉田哲人:『The Summing Up』『The World Won’t Listen』リリース・インタビュー前編>記事はこちら
★吉田哲人:『The Summing Up』『The World Won’t Listen』リリース・インタビュー後編>記事はこちら
★わたくしのオフコース -1->記事はこちら

 ここからはそんな吉田へのインタビューと、本作『I Saw The Light』の曲作りやレコーディング中のイメージ作りで聴いていたプレイリストをお送りする。


特別インタビュー★ゲスト~吉田哲人 
”人生いろいろありますが、
それでも前を向いて生きてゆくのだいう
決意の曲(歌詞)になっている”

●今回は久しぶりのリリースでおめでとうございます。
  まずはこれまで2年程の期間の活動状況を聞かせて下さい。
   2023年11月のソロアルバム『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』の2枚同時リリースから、翌年7月の田中友直氏とのユニット”BABY JOHNSONZ”のシングル・リリースと多忙な時期を経て、実に2年振りとなりますよね? 


吉田哲人(以下吉田):ありがとうございます。
実は、いくつかを除いて仕事を断っていた状況でした。

BABY JOHNSONZのシングル発売後もアルバム制作を進めていたのですが、その年の暮れ、田中友直さんにしばらく楽曲制作が出来なさそうであることを伝えて以来、作業が止まっている状況です。

『BABY JOHNSONZ e.p.』

というのも、ウチさんや僕のXをフォローしてくださっている方はご存知かもしれませんが、数年前に音楽出版契約のトラブルに見舞われまして、相手の不誠実な対応に我慢の限界に達してしまって半ば引退したような状態になってしまいました。あとで情報は正しく修正されたものの、ショックのあまり、楽曲提供を決めた僕が悪いのか?とまで思い詰めてしまい、その頃のXの投稿はネガティヴになりがちでした。まあ、色々と自分自身のリリースが続いたことで燃え尽き症候群のようになっていたのかもしれませんが、とにかくいろいろと重なってしまって、もう音楽制作はウンザリだ!と。

そうは言っても音楽を捨てることはできずに、アウトプットできないならインプットするいい機会かなと、楽理の勉強を始めたり、新たにベースを買ってみたりと、悲嘆に暮れて過ごすよりもできるだけ前向きにと努力していた日々でした。そんな中、唯一聴いて(聴けて)いたのは幼少期から聞いていたThe Beatles(及びソロ)でした。 


 ●なるほど、本作に至るまで紆余曲折あったのですね。
今回2人組女性アイドルグループ、イエスハッピー!(以降イエハピ)さんとコラボレーションすることになったのは、どういう経緯だったんでしょうか? 
彼女達は今年デビュー15周年ということで、これまでにも楽曲提供など交流などはあったのでしょうか? 


吉田:今回の楽曲は先ほどの「いくつか」にあたるのですが、以前から依頼を受けていたので、自分のメンタルはどうあれ、引き受けていたからには約束をきちんと果たさなければと。ただ、実際作ってみたら楽しくて、いい曲が出来たことで自信も回復したので、イエハピさんには感謝しかないですね。

僕が初めてイエハピを見たのは、2019年に大阪の味園ユニバースで開催された「Mezzo Forte in 味園」だったかな、2回目は横須賀の短冊CDフェス。そこで楽曲依頼をされました。その後も東京でのイエハピのイベントに行ったり、僕のリリース・イベントにも出演してもらったりと交流が続き、今回、デビュー15周年という記念すべきタイミングで改めて声をかけてもらったという流れです。

イエスハッピー!
(左からさやか、こころ

イエハピさんからの熱心なオファーによって、吉田さんの音楽活動再開にも繋がったということで安心しました。
では本作『I Saw The Light』のテーマ、コンセプトを教えて下さい。


吉田:イエハピさんからは「友情。辞めていった仲間にエールを送るような。」というテーマと聞きました。歌詞については何度かやり取りしながら、ほんの少しだけ僕も手伝い、タイトルも僕が決めました。 

僕へのリファレンスとして、WHY@DOLL(ほわどる)に提供した「ケ・セラ・セラ」「ふたりで生きてゆければ」を挙げてくれました。不思議なもので、上記の2曲は発売当時、正直ほわどるファンの方からの反応がちょっと薄いように感じていましたが、その後、別のアイドルの方から上記の2曲が好きだと言っていただけたことも裏付けとなり、それらのエッセンスを含みつつ、イエハピさんやそのファンの方、また、イエハピさんのアイドル仲間の方にも気に入ってもらえるような曲を目指しました。 


●本作のソングライティングやアレンジのアイディア、レコーディング時のエピソードなどはありますか? 


吉田:自身を見つめ直していた時期の依頼だったため、それまでの僕の楽曲制作とは違う考え方で、歌謡曲のフォーマットは守りつつも自分のアイディアに忠実に、転調してもそのまま走り切り(今までは部分転調くらいにとどめ、歌いやすい/作詞し易い曲になるようにしていた)、勢いのまま曲を完成させました。あと、今までは頭の中にある音(アイディア)を全部一曲に入れて音色の多い作品になりがちでしたが、今回はデモからボーカル・レコーディングまで諸事情で9ヶ月ほど空いたことで距離をとって楽曲を見つめ直し、不必要なものを削ぎ落として、必要最低限の音数で仕上げられました。 

今回の僕のヴォーカルは、デモ用のガイド・ヴォーカルそのまま使っています。歌い直した方がいいと思う箇所やタイミングを修正した方がいいと思う箇所もないわけではないのですが、歌詞が完成してすぐ録音した勢いが真空パックされていて、そこがとても気に入ったのでそのまま採用しました。仮に、もう一回歌い直してきっちり完成させればピッチやタイミングの精度は上がるかもしれませんが、結果、平坦な表現になりそうなので避けたのもありますね。 

レコーディング時のエピソードと言えば、4月下旬に行ったボーカル・レコーディングのときに、「この曲、めっちゃ気に入っているからいつか僕もセルフ・カヴァー出していい?」と話したら、「いつでも大丈夫です!何なら先に出していただいても大丈夫です!」と言われたので「いやいや、先に出すのはさすがに仁義に反するよ。どんなに僕が早く出すとしても、その場合は同時リリースだよ。」と話したこともあり、レコーディング終了後、どういうアプローチがあるかをぼんやり考えていたところに短冊CDの日のことを思い出し、イエハピさんとなりすレコードに連絡を取って急いで諸々作業し完成させました。

それと、先ほど話したウンザリしていた時期にRickenbacker 4003s(ベース)を買ったが、今回は音数少ないアレンジに仕上げるため、普段なら入れていたであろうギターを入れない代わりにそのベースを弾きました。ベースのレコーディングは短冊CDを出すと決めてから録音し、それで完成となりました。


●本作のソングライティングやアレンジのイメージ作りで聴いていた楽曲のプレイリストをお願いします。

『I Saw The Light』吉田哲人プレイリスト 

吉田:今回のプレイリストはビートルズ関連が大半な上、明確に影響を受けた/参考にしたという曲が見当たらないのですけれども、これらを昇華して今回の曲ができたのだとざっくり捉えてもらえれば、というリストになってます。別の言い方をすれば、僕は4歳(ジョン・レノンが亡くなる年の夏休み)からビートルズを聴いており、それらが血肉となっているので、今回の曲を自己分析してみたら、この辺りの影響が出ているのだろうと思われる曲が中心のリスト、とも言えます。

オリジナル・ミックスよりも、ここ近年のリ・ミックスの方がアレンジが聴きやすいのでそちらを積極的に選んでいます。下記の発売年はオリジナル発売(シングル曲はオリジナル・シングル発売時)年に準じています。 加えて、ビートルズを解説するなんて大胆なことはさすがにできないので、とりとめのない話を少々。

1.Hello, Goodbye - 2015 Mix / The Beatles 
 (『The Beatles 1967 - 1970』/ 1967年)
ポールの手ぐせみたいなコード進行の曲。音楽的な基礎ができる前の幼少期にビートルズをインストールしてしまったので、自分がつくるコード進行に影響がない訳がない。

2.What Is Life / George Harrison(『All Things Must Pass』/ 1970年)
曲もアレンジもいいし、あと歌詞も。

3.Instant Karma! (We All Shine On) - Ultimate Mix / John Lennon
 (『Gimme Some Truth』/ 1970年(2020年))
レコーディングから発売までの過程/コンセプトを考えるとミスタッチを直す時間はなかったと思うがそれも含めて全てカッコいい。どれを良しとするかの、美意識の問題。

4.Jet / Paul McCartney & Wings(『Band On The Run』/ 1973年)
Rickenbacker 4003sを買って最初に練習した曲。

5.Helter Skelter - 2018 Mix / The Beatles(『The Beatles』/ 1968年)
ジョンのベースってカッコいいですよね。確か使っているのはFender Bass VIなのでちょっとニュアンスは違うけど、僕もこの曲くらいの勢いでリッケンバッカーを弾いてみた。

6.Happiness Is A Warm Gun - 2018 Mix / The Beatles
 (『The Beatles』/ 1968年)
コード(楽曲)デザインというものは結局、作った本人が良しとすればそれで良しな訳で。戻らずに展開しっぱなしのこの曲の構造は素晴らしすぎる、と改めて。

7.One Love In My Lifetime - Single Version / Diana Ross
 (『Diana Ross』/ 1976年)
DJする時によくかける曲。ユメトコスメ長谷くんにストリングス・アレンジをお願いする際に頭の中で鳴ってる(=参考にして欲しい)曲として伝えました。

8.Remember - Ultimate Mix / John Lennon(『Plastic Ono Band 』/ 1970年)
ジョンのピアノってカッコいいですよね(既視感)。アレンジで必要な事は何かを教えてくれる曲。

9.I Am The Walrus - 2023 Mix / The Beatles 
 (『The Beatles 1967 - 1970』/ 1967年)
大人になるまで他人がいう変わったコード進行(この曲のみならずビートルズは多いのですが)の曲と気がつかなかった。

10.Baby You're A Rich Man / The Beatles 
 (『Yellow Submarine Songtrack』/ 1967年(1990年)
今回プレイリストを作って思ったのですが、普段ギターを中心にして聴いていない様子ですね…。

11.Sexy Sadie - 2018 Mix / The Beatles(『The Beatles』/ 1968年)
ポールのピアノってカッコいいですよね(既視感)。遠くで聞こえるオルガンは僕もよくやる手法で今回も当然。

12.Penny Lane - Stereo Mix 2017 / The Beatles
 (『The Beatles 1967 - 1970』/ 1967年)
展開してもしれっと元のキーに戻してみたり、新たに旅立ってみたり。
展開しても何とかキーを戻すのは作曲の醍醐味。

13.For No One - 2022 Mix / The Beatles(『Revolver』/ 1966年)
アレンジをする際、割とハープシコードを使うのですがそれはビートルズの影響が大きいと思います。

14.Gimme Some Truth - Ultimate Mix / John Lennon
 (『Imagine』/ 1971年
この曲、歌詞も重要であるが、ハープシコード、もしくはクラビネットのようなキーボードがうっすら使われており、それがめっちゃ効果的。”真実が欲しい”ですね本当に。

15.I Saw The Light / Todd Rundgren(『Something / Anything?』/ 1972年)
イエハピさんから届いた歌詞を読んだ際、世界観の象徴と思ったものが二つあるのですが、それを表すのにぴったりのタイトルでした。

(収録曲が同一アルバムのジャケットは共通で1枚のみ掲載)


●では最後に本作『I Saw The Light』のピーアールをお願いします。


吉田:イエスハッピー!さんの15周年を記念する楽曲が作れたことを光栄に思っております。人のために曲を作るのは天職であるなと改めて感じることができました。
ストリングス・アレンジをしてくれたユメトコスメ長谷くん曰く「一連の、吉田さんが一筆書きで書いたような曲」であるようですし、イエハピさんからのオファーにあったのもありますが、僕が、僕の曲をリファレンスに今作るとどうなるか、どんな癖があるのか、成長しているのか、否か。それらがよく表れた曲になっていると思います。僕にも金太郎飴ができたのだとすれば、それは喜ばしいことですし、それを分かってもらえるくらい聴いてくれる方がいれば、それは本当に嬉しいことです。

人生いろいろありますが、それでも前を向いて生きてゆくのだという決意の曲(歌詞)になっていると思います。奇しくも、僕は実生活でその決意が必要だったタイミングでこの曲を作りましたので思い入れはひとしおですし、(いつ出るのかは未定ですが)自身の次のアルバムで試してみたかったアイディアのデュエット・ヴァージョン制作もこのCDで実現しています。気に入っていただけたら幸いです。みんなでイエスハッピー!さんの15周年をお祝いしましょうよ! 聴いてね。


イエスハッピー! / 吉田哲人『I Saw The Light』
disk union 予約>こちらをクリック


吉田哲人プロフィール
作編曲家/SSW。 48歳にして初のアルバム『The Summing Up』アーカイブ集『The World Won’t Listen』を同時発売した遅咲きボーイ。BABY JOHNSONZのメンバーとしても活動。1999年にP-Vineより発売されたコンピ『テクノ歌謡』選曲家チーム8-bitsの1号でもある。作家としての代表作『チームしゃちほこ / いいくらし』『WHY@DOLL / 菫アイオライト』『Sputrip / 光の惑星』『WAY WAVE / SUMMER BREEZE』 等。
INSTAGRAM : @tetsutoyoshida

イエスハッピー!オフィシャルHP:https://yeshappy.jp/
イエスハッピー!X:https://x.com/UFK_YesHappy


(設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ
















2026年6月19日金曜日

トニーニョ・オルタ出演★Jazz in Hokutopia Vol.4


  ブラジルのミナス・ジェライス州出身のギタリストでシンガーソングライターのトニーニョ・オルタ(Toninho Horta)が、9月後半に来日し東阪と静岡でツアーを実施するので紹介したい。
 
 トニーニョ・オルタはブラジル音楽好きには説明不要のミナスが生んだ至宝ミュージシャンの一人で、同地出身のミルトン・ナシメントやロー・ボルジェスとの1972年のアルバム『Clube Da Esquina(街角クラブ)』はあまりにも有名である。
 ※詳細は文末のプロフィールを参照のこと。
 日本にはこれまで十数回来日公演をしており、日本においてブラジリアン・ミュージックをプレイするミュージシャンへの影響力も計り知れない。先月弊サイトで紹介したばかりのシンガーソングライターTOYONOは全曲トニーニョのカバー・ライヴを配信したのをはじめ、やはり弊サイトで多くのアルバムを紹介しているシンガー・ソンングライター兼ギタリストのSaigenji(サイゲンジ)は、デビュー当時からそのギタープレイ・スタイルにトニーニョの匂いがしていた。そんなSaigenjiや小野リサ等のサポートで知られる女性サックス・プレイヤーのヤマカミヒトミ、ブラジリアン・ポップ・ユニットのDOIS MAPAS(ドイスマパス)の木下ときわは各々のソロアルバムで、トニーニョの曲を独自のスタイルでカバーしている。
 また今回のツアーの内、東京の【Jazz in Hokutopia Vol.4】の9月29日の「トニーニョ・オルタ・ジャパン・ブラジル・コレクティブ」のセッション・メンバーには、筆者と25年程前から交流があり、Saigenjiのバンドで長年ドラマーを務める名手の斉藤良が参加しているのが嬉しい。彼をはじめ出演メンバー全員が一流の手練ミュージシャンばかりなので耳の肥えた音楽ファンも魅了するだろう。

斉藤良(ds)

 この様にトニーニョはミュージシャンズ・ミュージシャンとして知られた、一流のブラジリアン・ミュージシャンであり、齢70を過ぎた現在も来日公演をしてくれる親日家でもあるので、是非この機会にライブ会場に足を運んでトニーニョの生演奏を堪能して欲しい。
 東京公演のチケット発売は本日6月19日からなので、良い席は早急に予約してほしい。

トニーニョ氏サイン入り『Toninho Horta』
(1980年/管理人所有)


Como Tocar "Aquelas Coisas Todas" no violão
Aula com Toninho Horta. MPB, Samba, Playtrought song


【東京公演】
Jazz in Hokutopia Vol.4


■イベント詳細ページ

■日時
9月25日(金):日本ジャズ界の中核的存在・石若駿を軸に、現在のジャズシーンを牽引するミュージシャンが集結。Answer to Rememberでは生誕100周年を迎えるマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンへのトリビュートを披露する。

9月26日(土):ブラジルが生んだ伝説のギタリスト、トニーニョ・オルタが登場。ジャンルを超えた音楽体験を、ぜひ会場でお楽しみください。

■場所
北とぴあ(さくらホール)

■価格
一般 5,000円/北区民 4,500円/U-22 3,500円(※当日証明書をご提示ください)
※全席指定
※未就学児の入場はお断りしております

■発売日
6月19日(金)

■チケット取扱い
・ほくとぴあチケットオンライン: https://p-ticket.jp/kitabunka
・北とぴあ1階チケット売場(窓口のみ/10:00~20:00)
※臨時休館日は10:00~18:00、全館休館日は休業
・チケットぴあ(Pコード:327900):http://ticket.pia.jp/pia/event.ds?eventCd=2618949


■出演(出演順)

・9月25日(金)
〇若井優也トリオ 〈若井優也(pf)、高橋陸(b)、石若駿(ds)〉
〇Marty Holoubek Trio II 〈Marty Holoubek(b)、井上銘(gt)、石若駿(ds)〉
〇Answer to Remember 〈石若駿(ds)、MELRAW(as)、佐瀬悠輔(tp)、中島朱葉(as)、馬場智章(ts)、海堀弘太(key)、若井優也(pf)、Marty Holoubek(b)、Taikimen(perc)〉


・9月26日(土)
〇トニーニョ・オルタ・ソロ 〈トニーニョ・オルタ(vo&g)〉
〇トニーニョ・オルタ・ジャパン・ジャズ・コレクティブ 〈トニーニョ・オルタ(vo&g)、馬場智章(ts)、Akira Ishiguro(g)、小川晋平(b)、小田桐和寛(ds)〉
〇トニーニョ・オルタ・ジャパン・ブラジル・コレクティブ 〈トニーニョ・オルタ(vo&g)、ノビー(cho&vo)、太田朱美(fl)、小畑和彦(g)、織原良次(b)、斉藤良(ds)〉


〈Jazz in Hokutopia〉
主催:内藤プランニング
共催:(公財)北区文化振興財団
後援:Gotham Yardbird Sanctuary、駐日ブラジル大使館
協力:Ornithology Jazz Club、Westville Guitars、Echizen Guitars、
   株式会社ディスクユニオン、(株)ラティーナ、(一社)東京北区観光協会



【大阪公演】
トニーニョ・オルタ with guest 小野リサ

■日時
9月29日 (火)  1stステージ 開場 16:30 開演 17:30
       / 2ndステージ 開場 19:30 開演 20:30

■場所
Billboard Live OSAKA

■価格
BOXシート ¥21,300-(ペア販売)
S指定席 ¥10,100-
R指定席 ¥9,000-
カジュアルシート ¥8,500-(1ドリンク付)

■発売日
2026/6/16 (火)正午12:00=Club BBL会員・法人会員先行(ビルボードライブ)
2026/6/23 (火)正午12:00=ゲストメンバー・一般発売(ビルボードライブ/e+)

■出演  
トニーニョ・オルタ(vo&g)、ゲスト 小野リサ(vo&g)

■公演のご予約・お問い合わせ
ビルボードライブ大阪: 06-6342-7722



【静岡公演】
トニーニョ・オルタ・ソロ

■日時
9月30日 (水) 開場 19:00 開演19:30

■場所
Life Time Jazz Club

■価格
前売8,000円 当日8,500円

■出演  
トニーニョ・オルタ (vo&g)

■公演に関するご予約・お問い合わせ
ライフタイム:054-250-0131


〈大阪・静岡公演〉
主催:内藤プランニング
後援:Gotham Yardbird Sanctuary、駐日ブラジル大使館
協力:Ornithology Jazz Club、Westville Guitars、Echizen Guitars、
   株式会社ディスクユニオン、(株)ラティーナ

■総合問い合わせ
内藤プランニング
070-3820-7222



トニーニョ・オルタ・プロフィール
トニーニョ・オルタは、ミナス・ジェライス州の豊かなバロック文化の時代における宗教音楽と大衆音楽の作曲家の伝統を受け継ぐ音楽家です。トニーニョは最初の音楽レッスンを、母でありマンドリン奏者のジェラルダと、兄でコントラバス奏者のパウロから受けました。パウロは1950〜60年代のジャズのレコードを彼に紹介し、トニーニョの音楽に大きな影響を与えました。トニーニョが最初の曲を作曲したのは13歳の時で、歌詞は姉のジルダが書きました。

1967年、リオデジャネイロで開催された第2回国際歌謡祭において、トニーニョは「Maria Madrugada」(作詞:Junia Horta)と「Nem é Carnaval」(Márcio Borgesとの共作)の2曲で参加し、新しい表現力を持つ作曲家として注目を集めました。

1970年にトニーニョ・オルタはリオデジャネイロへ移住し、すぐにエリス・レジーナのバンドに参加しました。アルバム『Ela』のレコーディングやツアーにも参加しています。1972年には、ミルトン・ナシメントによる伝説的アルバム『Clube da Esquina』に大きく貢献し、アコースティックギター、エレキギター、ベース、パーカッション、ボーカルを担当しました。また、アレンジや色彩豊かで躍動感のあるギタープレイによってアルバムのコンセプトにも重要な役割を果たしました。

1973年には、ガル・コスタのアルバムおよびツアー『Índia』でギタリストを務め、その後ミルトン・ナシメントとSom Imaginárioのバンドと再び共演し、オーケストラと共に行われたライブ録音『Milagre dos Peixes』に参加しました。トニーニョの楽曲は、レニー・アンドラーデ、タンバ・トリオ、ナナ・カイミ、ジョイス、セルジオ・メンデスなど多くのアーティストによって録音されています。またこの時期、ドミンギーニョス、エドゥ・ロボ、シコ・ブアルキ、マリア・ベターニア、ドリ・カイミなどの作品にも参加しました。

1976年、フローラ・プリム、アイアート・モレイラ、そしてパートナーのミルトン・ナシメントとのレコーディングで初めてアメリカを訪れた後、トニーニョは多くの著名なアーティストとレコーディングやツアーを行うようになります。マンハッタン・トランスファー、アストラッド・ジルベルト、ジョージ・デューク、パット・メセニー、ニコラ・スティーロ、矢野顕子、平井堅、ルディ・ベルガー、ジャック・リー、小野リサなどと共演しました。また、ノーマン・コナーズやアース・ウィンド・アンド・ファイアーにも彼の楽曲が録音されています。
55年以上にわたるキャリアの中で、トニーニョは約1,300曲のレコーディングに参加し、世界中のミュージシャンから彼に捧げられた約120曲の楽曲によって称えられています。

彼の名前は多くの音楽書籍において、ジャズシーンを代表する最も重要なアーティストの一人として掲載されています。1977年には英国の音楽誌『Melody Maker』によりジャズギタリスト第5位に選ばれ、1978年には第7位に選出されました。

トニーニョはこれまでに、ソロ作品、フィーチャリング作品、客演、コラボレーションなどを含め、約40枚のアルバムを発表しています。
また、「Como Péno Forró」(2005)、「Harmonia & Vozes」(2011)でグラミー賞「最優秀ブラジル音楽アルバム部門」にノミネートされ、2020年にはバンドOrquestra Fantasmaと共に制作したダブルアルバム『Belo Horizonte』でラテン・グラミー賞を受賞しました。


トニーニョ・オルタSNS





(テキスト:ウチタカヒデ









2026年6月13日土曜日

Johnny Kidd & The Piratesについて

  

 Johnny Kidd & The Piratesといえば、"元祖パブロック"や、"ビートルズ登場以前のロックンロール" と言われ、Guess Who? やThe Whoなどにもカバーされた「Shakin' All Over」のヒットがとても有名だ。海賊ルックでカットラスを振り回すライブパフォーマンスは圧巻だったという。映像がほぼ残っていないのは残念に思う。シングル音源、未発表音源が集められたベスト盤を聴いてみると、メンバーの交代が多かったこともあってか、まさにパブロックの元祖というような曲もあればマージービートの影響が強い曲、オーケストラを加えた曲など様々。パブロックの他、ロカビリー、パンク、ガレージ周辺への影響は今でも大きいように見える。

Shakin' All Over Johnny Kidd & The Pirates

 1950年代後半、ジョニー・キッド(本名: フレデリック・アルバート・ヒース)は、The Five Nuttersなどいくつかのスキッフルバンドに所属し、ペンキ職人をしながら作曲活動も行っていたそうだ。The Five Nutters時代の未発表デモ「Shake, Rattle & Roll」「She’s My Blood Red Beauty」も2015年にリリースされている。(Moochin' About – MOOCHIN12)

 ジョニー・キッドと、マネージャーだったガイ・ロビンソン作の「Please Don't Touch」はJohnny Kidd & The Piratesのデビュー曲になるのだけれど、それ以前にこの曲はThe Bachelors(アイルランド出身の同名バンドとは異なる)に提供され、EMIのパーロフォン・レーベルからリリースされていたようだ。ジョニー・キッドは、その提供をきっかけに知り合ったEMIのHMVレーベルのマネージャー、ウォルター・J・リドリーからレコーディングテストを受けるように勧められて合格したことでHMVレーベルと契約する。そして1959年に自分達の「Please Don't Touch」をレコーディング、リリースした。この時、レコーディング名としてJohnny Kidd & The Piratesと名付けられた。オリジナルメンバーはリードボーカルのジョニー・キッド、リードギターのアラン・キャディ、リズムギターのトニー・ドハーティ、ベースのジョニー・(フルーツ)ゴードン、ドラムのケン・マッケイ。そしてマイク・ウエストとトム・ブラウンがバックコーラスとなる。実際にはHMVと契約していたのはジョニー・キッドのみで、他メンバーはセッションミュージシャンとしての起用だったよう。その後の活動期間中、把握しきれないほどメンバーの交代や追加のセッションミュージシャンの起用がある。

 3枚のシングルをリリースした後、The Piratesはアラン・キャディを残して再編成されクレム・カッティーニ(ドラム)、ブライアン・グレッグ(ベース)が加わった。4枚目のシングルは最大のヒットとなった「Shakin' All Over」で、もともとはB面収録を予定して作られた曲だった。スキッフル歌手のチャス・マクデヴィットの店Frieght Train Coffee Barの地下で、コーラの木箱に座って6分程で完成させたそうだ。バンドでファーストテイクを録った翌日、ゲスト参加したジョー・モレッティ(Vince Taylor and His Playboysの「Brand New Cadillac」への参加でも知られる)がリードギターと、ライターを弦に当てて鳴らした音をオーバーダビングした2テイク目で完成した。想像以上の出来栄えだったためA面に変更され、1960年にリリースされるとイギリスチャート1位のヒットとなった。

 ここからさらに3枚のシングルをリリースするもヒットは難しく、The Piratesの3人はバンドを離れてColin Hicks & The Cabin Boysに加入、後には「テルスター」のヒットで有名なThe Tornadosとして成功した。ジョニー・キッドはバックバンドを失い落胆していたけれど、新たにもともとThe Redcapsというバンドにいたジョニー・パットー(ギター)、ジョニー・スペンス(ベース)、フランク・ファーリー(ドラム)が加わり活動は継続した。

 1962年のこの頃、ジョニー・キッドはソロ名義でのシングルをリリースしている。クライヴ・ウェストレイク作で、マイク・サムズ・シンガーズのコーラスとオーケストラをフィーチャーした「Hurry On Back To Love」は、彼らの経歴の中で注目されることは少ないけれど、これはこれでとても魅力的だと思う。

Hurry On Back To Love / Johnny Kidd

 The Piratesは新体制となったものの、ジョニー・パットーが体調不良で脱退したため、ジョニー・スペンスとフランク・ファーリーは旧友のミック・グリーンを誘った。このミック・グリーンを加えたラインナップはJohnny Kidd & The Piratesの黄金時代と言われることも多く、Dr. FeelgoodやThe Who、The Rolling Stonesなど後世に大きな影響を与えている。このラインナップでリリースされた最初のシングルは1962年、アーサー・アレキサンダーのカバー、「A Shot Of Rhythm & Blues」だ。B面はボ・ディドリーのカバー「I Can Tell」。

I Can Tell / Johnny Kidd & The Pirates

 1963年になると、マージービートブームの影響を強く受け、この時のマネージャー、ゴードン・ミルズが作曲した「I'll Never Get Over You」をリリースした。これはイギリス4位のヒットとなった。B面は、ジョニー・キッドとミック・グリーン作の「Then I Got Everything」。

 同年、ゴードン・ミルズ作の「Hungry For Love」、B面はベン・E・キングのカバー「Ecstasy」のシングルをリリース。これらと同日に録音していたリトル・ウォルターのカバー「My Babe」と、エドウィン & アルヴィン・ジョンソン作の「Castin' My Spell」はThe Piratesのソロシングルとして1964年にリリースされた。

 次のシングルは、ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」に英詞をつけてアレンジした「Always and Ever」だった。そしてB面曲の「Dr. Feelgood」は、70年代の代表的なパブロックバンドDr. Feelgoodの名前の由来にもなった、傑作のひとつとして語られる曲だ。

 しかしこの頃からは、以前のキャバーン・クラブなどでのライブと異なり、ブラックプールで犬の出し物の後にライブをさせられるなど、退屈なショーが続きミック・グリーンはうんざりしていたそう。1964年の「Jealous Girl」のリリースを最後に彼は脱退し、Billy J. Kramer With The Dakotasに加入した。ジョニー・スペンスとフランク・ファーリーはバンドに残り、ギタリストが何人か加入脱退を繰り返すも失敗続きだった。

 1965年、カナダのバンドGuess Who? が「Shakin' All Over」をカバーし、大ヒットする。カナダで1位、アメリカで20位を記録した。Guess Who? はもともとChad Allan And The Expressionsというバンドだったのだけれど、当時カナダのバンドは興味を持たれにくかったため、レコード会社はこのシングルをGuess Who? の名義で偽装し、ブリティッシュ・インヴェイジョンに紛れたバンドであるかのように見せかけてプロモーションした。「Shakin' All Over」が大ヒットしたことで、その後もこの名前が定着してしまったそうだ。後にクエスチョンマークをとり、The Guess Whoとなった。この年、本家のJohnny Kidd & The Piratesも「Shakin' All Over」の新バージョンをリリースしているのだけれど、注目されることはなかったようだ。

 ミック・グリーン脱退後に4枚のシングルがリリースされ、その最後はジョニー・キッドのソロ名義で1966年にリリースされた「It's Got To Be You」だった。バックにジョニー・ハリス編曲のオーケストラ、バックボーカルにはThe Marionettesが参加し、ヒットを見込んでいたもののチャートインしなかった。

 この後バンドは解散し、落ち込んだ生活を送っていたジョニー・キッドが音楽活動そのものを辞めることも考えていた時、ジョニー・キッドに雇われていたオルガン奏者レイ・ソーパーが、ジョニー・キッドのファンだったベーシスト、ニック・シンパー(後にDeep Purpleに加入)に連絡をとる。ニック・シンパーは同じくJohnny Kidd & The Piratesファンのロジャー・トゥルース(ドラム)とミック・スチュワート(ギター)に連絡し、新しいThe Piratesとしてジョニー・キッドを誘った。彼らの演奏が素晴らしく、元気をとり戻したジョニー・キッドは再びツアーを開始する。もともとはソロに転向する予定で、黄金期のメンバー、ミック・グリーン、ジョニー・スペンス、フランク・ファーリーにThe Piratesを名乗る権利を許可していたため、(このThe Piratesの活動は2000年代まで続いた)ジョニーキッドの新しいバンドはJohnny Kidd & The (New)Piratesと呼ばれた。再び観客からの期待も高まり始めた最中だった。1966年10月、移動中のジョニー・キッドとニック・シンパーが乗っていた車が衝突事故を起こす。2人は病院に搬送され、ニック・シンパーは一命をとりとめる。しかしジョニー・キッドは病院到着時に死亡が確認された。最後のシングルになった「Send For That Girl」はジョニー・キッドの死後にリリースされた。


参考・参照サイト:

http://www.adiebarrett.co.uk/johnnykidd/index.htm

https://www.allmusic.com/artist/johnny-kidd-the-pirates-mn0000239961#biography

http://forgottenbands.blogspot.com/2009/10/red-e-lewis-redcaps-then-red-cats.html?m=1


執筆者・西岡利恵
60年代中期ウエストコーストロックバンドThe Pen Friend Clubにてベースを担当。



【リリース】

■ 2026年3月18日発売
2枚組 NEWアルバム
『Songularity - ソンギュラリティ』

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【LIVE】

■2026年6月20日(土)
名古屋・鶴舞KDハポン
【Songularity Tour 2026 in NAGOYA】

■2026年9月26日(土)
渋谷LOFT HEAVEN
【Add Some Music To Your Day】

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