2025年7月4日金曜日

短冊CDの日 2025 -シングルCDの祭典-


 2023年から展開されていた『短冊CDの日』のイベントが今年も7月7日”七夕の日”に開催される。
 これは1988年に8cmサイズのCDを短冊型パッケージにしたシングルCDが生産開始されて35周年となった、2023年から展開されている『短冊CDの日』のイベントで、再ブームの兆しを見せているのだ。90年代に青春時代を送った世代にとっては懐かしく、デジタル配信で育った令和の若い世代にとっては、この8cmサイズのCDのフォーマットは、アナログ盤やカセットテープと同様に音楽産業のリバイバル・ブームと言えるのだ。
 ここでは『短冊CDの日 2025』にエントリーされて、7月7日に同時リリースされる中から、弊サイトのカラーや筆者の好みやで選出した作品を詳細レビューで紹介したいと思う。

●短冊CDの日 2025 -シングルCDの祭典-公式サイトリンク



Wink Music Service 
『素直な悪女/ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~』(VSCD9747)
 『Fantastic Girl/Der Computer Nr.3』(VSCD9748)
 『ミツバチのささやき/ロマンス』(VSCD9749) 

 昨年のキャンペーンでファースト・シングル『ローマでチャオ/ヘンな女の子』を取上げたWink Music Service(ウインクミュージック・サービス/以降WMS)は、同年7インチでリリースした3作の『素直な悪女/ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~』、『Fantastic Girl/Der Computer Nr.3』、『ミツバチのささやき/ロマンス』を今年はエントリーしている。それぞれタイトル曲とカップリング曲に各インスト・ヴァージョンの計4曲を収録しており、7インチを所有するファンにもコレクターズ・アイテムとして必携である。
 
 各曲の詳細レビューはリンク先の当時記事を読んで欲しいが、弊サイト的にはソフトロック色が強く、筆者(管理人)が2024年のベストソングに選出したオーバンドルフ凜(りん)歌唱の『Fantastic Girl』が特にお勧めである。
 またこのパッケージでのヴィジュアルでもゲスト・ボーカルの美少女ハーフ・モデルのアンジーひよりと前出のオーバンドルフ凜、現役アイドルの白鳥沙南の存在感は大きく、WMSを主宰するベテラン・クリエーターのサリー久保田と高浪慶太郎による究極のポップ・ユニットの戦略は、音楽面以外にも成功しており、今後の活動にも期待するばかりだ。


Wink Music Service (左から高浪慶太郎、サリー久保田) 

アンジーひより    オーバンドルフ凜   白鳥沙南

◎『素直な悪女』+『Fantastic Girl』:詳細レビューはこちら
◎『ミツバチのささやき』(『It Girls』収録時):詳細レビューはこちら


 
平野友里(ゆり丸)『世界でいちばん熱い夏』(NRSD-3156)

 同じく昨年『超ゆり丸音頭』(プロデュース:ムーンライダーズ白井良明)をレビューしたアイドル・シンガーのゆり丸こと平野友里は、80年代後半にヒットした、PRINCESS PRINCESSの「世界でいちばん熱い夏」(1987年/最高順位:1位)と、渡辺美里の「恋したっていいじゃない」(1988年/最高順位:2位)のカバーをカップリングしたシングルでエントリーしている。サウンドプロデューサーには近年マスタリング・エンジニアとしても著名なmicrostar佐藤清喜が起用され、全ての演奏も手掛けおり、彼が得意とする英国エレクトロ・ポップのカラーも見え隠れしている。収録は各曲のカラオケ(インスト)・ヴァージョン含めた4曲に、「超ゆり丸音頭」を佐藤によりダブミックスした「超ゆり丸音頭(nicely nice dub mix)」を加えた計5曲となっている。 


 ゆり丸のプロフィールは前回のレビューを参照頂くとして、このカバーについて解説しよう。「世界でいちばん熱い夏」は、PRINCESS PRINCESSのボーカル奥居香の作曲、ドラム富田京子の作詞で、原曲のアレンジはバンドとプロデューサーである笹路正徳(フュージョンバンド元マライア出身)が共同クレジットされている。
 この曲を聴いてポップス・マニアは直ぐに分かると思うが、サビのオマージュ元はフランキー・ヴァリの「Can't Take My Eyes Off You」(1967年)だろう。ここでのカバーはオリジナルと異なり、このキャッチャーなサビを冒頭に持ってきて聴き手にインパクトを与えているのがグッドアイデアだ。基本アレンジは完成度が高かった原曲を踏襲しながら、コーラスやギター・カッティング・パターンを変え、シンセ・ドラムのアクセントを入れている。

 カップリングの「恋したっていいじゃない」は、渡辺美里による作詞、作曲は後にダンス&ボーカルグループSPEEDのプロデューサーとして活躍する伊秩弘将で、アレンジは大貫妙子やEPOなどを手掛けたベテランの清水信之。このオリジナルは渡辺自身が出演するコーヒーCMのタイアップ曲だったこともあり、アップテンポで躍動的な曲だった。遡る1984年にカセットテープCMのタイアップ曲で、日本でもヒットした米女性シンガー、Teri DeSarioの「Overnight Success」に通じる明快さはいかにも当時のヒットポップスである。
 ここでのカバーは佐藤がリスペクトする英国人プロデューサーのトニー・マンスフィールド風のシンセサイザーのサウンドが聴けてマニア心をくすぐる。両曲ともゆり丸の非凡な歌唱力によりオリジナルの完成度にも引けを取らないので、80年代ポップス・ファンにもお勧めである。
 またボーナストラックの「超ゆり丸音頭(nicely nice dub mix)」は、英国プロデューサーのエイドリアン・シャーウッドが1979年に設立したOn-U Sound Recordsに通じるダブミックスで、オリジナルを換骨奪胎した大胆なサウンドは新鮮に聴けてダンス・ミュージックとしても面白い仕上がりだ。 



TAMAYURAM (まゆたん✖️ルカタマ)
『bye-bye, tape echo』(NRSD--3153)

 TAMAYURAM(たまゆらむ)は、シンガー・ソングライターのルカタマと、嘗て『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称イカ天)への出演で一躍知られた伝説のガールズバンド“マサ子さん”のボーカルまゆたんで結成された女性2人組ユニットだ。
 本作『bye-bye, tape echo』は、今年2月にリリースされたファースト『She’II ―あの子が世界を赦すまでー』と同様に短冊CDのフォーマットに拘ったセカンド・シングルとなる。
 アイドルグループ ”めろん畑a go go”出身のルカタマは、筆者の2024年ベストソングで選出した広瀬愛菜の「LA BLUE feat.MCあんにゅ ルカタマ」でフューチャーされるなど、その活動は多岐に渡るので記憶に新しいと思うが、このユニットもユニークな存在なのでここで取上げたい。 

左からまゆたん、ルカタマ

 タイトル曲の「bye-bye, tape echo」は、本作のプロデューサーである音楽ユニットdetune.(デチューン)の郷拓郎(ごう たくろう)がソングライティングとアレンジを手掛け、ギター以外の全ての演奏とプログラミングまで担当している。高域のまゆたんと中音域の柔らかいルカタマの声質のブレンドがこのユニットの魅力であるが、郷はそんなボーカル・パートが引き立つサウンド作りをしている。ラグディなドラム・ループにウーリッツァー系エレピや各種シンセで上物を構築し、サエキけんぞう率いる”ハルメンズX”のメンバーでもあるギタリストの吉田仁郎が複数のギター・トラックでプレイしている。

 カップリングは、ムーンライダーズが1986年にリリースし、筆者が最高傑作候補に挙げる『Don't Trust Over Thirty』のB面3曲目に収録された「A Frozen Girl, A Boy In Love」(作詞:滋田みかよ)のカバーである。ここでは同曲の作曲者でライダーズの武川雅寛がヴァイオリンとコーラス、また昨年古希を迎えた鈴木博文もコーラスでゲスト参加するという豪華さである。アレンジ的にはオリジナルより音数を減らしテンポをやや下げて空間を活かし、まゆたんとルカタマの個性あるボーカルのコントラストがより楽しめる。先人二方のコーラスもこのボーカルを引き立てながら、各々爪痕を残すパフォーマンスをしているのが、らしくて嬉しくなる。 

 また今回ここで紹介した、ゆり丸やTAMAYURAM以外のレーベルメイトも同日短冊CDをリリース予定なので触れるが、XOXO EXTREME(キス・アンド・ハグ・エクストリーム)から一色萌に続いてソロデビューした小日向まおの『永遠』(NRSD-3155)、富士山ご当地アイドルグループの 3776 (みななろ)の『さよなら渦巻きの中の私』(TANZ-3776)、そして嘗てヒットしたアニメ『らんま1/2』(1989年/原作:高橋留美子)の主題歌をカバーした、シンガー・ソングライター兼アイドルの小日向由衣の『じゃじゃ馬にさせないで』(NRSD-3152)と、個性派ぞろいなので是非注目してほしい。 

小日向まお『永遠』
(NRSD-3155)disk union 予約
3776『さよなら渦巻きの中の私』
(TANZ-3776)disk union 予約
小日向由衣『じゃじゃ馬にさせないで』
(NRSD-3152)disk union 予約



Usabeni & MaNaMaNa『女ともだち』(AVOC-1005)

 ムーンライダーズ絡みでは、鈴木慶一が作編曲とプロデュースを手掛けた野宮真貴のデビュー・シングル「女ともだち」(1981年/作詞:伊藤アキラ・資生堂CM曲)を、アイドルのUsabeni(宇佐蔵べに)と、ミライスカート出身のMaNaMaNa(林奈緒美)が、Usabeni & MaNaMaNaのデュオ名義で今回カバーして短冊CDでリリースする。
 彼女達は歌詞の世界そのままに実際の友達であるということもあり企画されたらしく、収録曲は同じバックトラックで、UsabeniとMaNaMaNaがそれぞれリードボーカルを取ったヴァージョンを収録し、お互いが双方のヴァージョンでコーラスを取っているという稀なレコーディングが施されている。

左からUsabeni、MaNaMaNa

 今回のカバーでは元相対性理論集団行動(活動休止中のため復活希望!/ドラム:西浦謙助)のリーダーである真部脩一がアレンジを担当し、オリジナルが持っていた慶一イズムなチャイニーズ・スケールのニューウェイヴ感覚を、よりキッチュなサウンドでリメイクしている。コーダにはオリジナルにはないアンニュイなシンセサイザーソロがあり、ライダーズの「鬼火」(『MODERN MUSIC』収録/1979年)を彷彿とさせてライダーズ・マニアとしては嬉しい。
 これらは嘗て『ハイファイ新書』(相対性理論/2009年)で聴けた真部の感覚にも近く、今回この組み合わせを実現させ、これまでにBase Ball Bearやフジファブリック等々多くのバンドを発掘、育成したA&Rマンで、プロデューサーの加茂啓太郎の企画力には敬服してしまう。
  Usabeni、MaNaMaNaのファンの他、初期相対性理論から近年真部が楽曲提供とバックバンドで参加するano(あの)のファンにもアピールするだろう。



スワンスワンズ
『お星さま採集~白鳥倶楽部のテーマ~』(SW-005)

 最後に今回プレスキットが送られてきて初めて知ったのが、2人組アイドルグループのスワンスワンズで、新曲の『お星さま採集~白鳥倶楽部のテーマ~』を初短冊CDでリリースする。
 彼女達は2022年4月に結成された完全セルフ・プロデュースのグループで、メンバーのあみは作詞を、あかりが振り付けを各々担当し、作編曲とバックトラックは彼女達が気に入ったクリエイター達に発注するというプロダクションで楽曲制作をおこなっている。大阪を拠点に活動し、東京や京都、名古屋など都市部でのライブイベントにも多く参加しているようだ。
 本作にはタイトル曲とカップリングの「パーフェクトスコール」、各インスト・ヴァージョンの計4曲を収録している。 

左からあみ、あかり

 アーテイスト写真をご覧の通り、まずは彼女達のロリータファッションに目を奪われてしまうだろうが、筆者はタイトル曲「お星さま採集~白鳥倶楽部のテーマ~」を一聴してその高度な音楽性に直ぐに魅了されてしまった。
 3分弱の尺なのだが、パート毎に転調とテンポチェンジを繰り返しメロディも極めて複雑で、あみのファンタジーな歌詞の世界にインスパイアされたであろうサウンドに仕上がっている。敢えて言えば、サイケデリックロックやプログレッシブロックのマニアにしか作れない楽曲であり、特にサビの「わたしたちは白鳥倶楽部・・・」からのパートのメロディはクラシック音楽の素養がないと編み出せないし、続くブリッジのペンタトニック・スケールのメロでクールダウンさせるテクニックも巧みだ。
 作編曲は大阪で活動するマルチプレイヤー兼エンジニアの吉井大希で、全ての演奏も彼が一人多重録音で担当しており、そのセンスも含め令和のシド・バレットロイ・ウッドと呼んでしまいたい。 

 カップリングの「パーフェクトスコール」は、一転してステディな打ち込みシティポップ・サウンドで、リズムパターンは竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)を踏襲している。不毛の恋愛を綴ったあみの歌詞もサウンドにマッチしていて、ドライブミュージックとしてリスニング可能だ。作編曲は大阪音大卒の若き作編曲家のマキシコーマで、キーボード類とプログラミングなどバックトラックも一人で担当している。ライブでの再現性が難しそうな転調が多い「お星さま採集」に比べ、この「パーフェクトスコール」は今後ライブ・レパートリーの定番になるかも知れない。


 以上紹介した各作品は短冊CDのフォーマットにより数量限定のため、筆者の詳細レビューを読んで興味を持った読者は、各リンク先から直ちに予約し入手して聴いて欲しい。

(テキスト:ウチタカヒデ) 

2025年6月15日日曜日

California Dreamland

  

 もしも米国音楽の地図に、ひときわ眩い光を放つ地点があるとすれば、それは間違いなくCaliforniaの海辺、波打つ西海岸にあるだろう。そしてその座標を指し示す星のひとつが、Brian Wilsonという存在だ。だが、その煌きは決して最初から祝福されていたわけではない。むしろその原点は、土埃舞う中西部にあった。Wilson一族は、移ろいやすい気候と単調な農業に苦しむ中西部の片隅から、新天地を求めて西へ向かった。米国の理想――自由、解放、再出発――それを信じた家族の、汗と涙の旅路だった。
California。それは楽園の象徴だった。しかし、現実はどうだ。そこに待っていたのは、経済的苦境、社会の冷淡さ、そして家族内部の圧力だった。Brianの父、Murry Wilsonは、自らの音楽的な夢に未練と期待を持ちながら、家庭にもその執念を託す。厳格で、時に暴力的な教育方針のもと、少年Brianはただ音に救いを求めた。ピアノの前、ビーチの風、AMラジオ。そこに彼だけのユートピアを築き始めた。だが、その逃避は甘美なものばかりではなかった。若くして名声を得たBrianは、60年代中頃から重度の精神疾患に苦しむようになる。統合失調症的な症状、幻聴、不安障害。そしてそれを和らげようとした薬物依存。音楽の天才として評価される裏側には、孤独と混乱に苛まれる青年の姿があった。
Brianの音楽は、単なるポップではない。1960年代、大英帝国から押し寄せた「British Invasion」が米国音楽界を席巻する中で、彼の存在は異質だった。彼は“反撃”しようとしたのではない。自分だけの音の宇宙を築くことで、英国勢の陰に色褪せない米国音楽の魂を示したのだ。『Pet Sounds』はまさにその象徴。コード進行は複雑で、多彩なハーモニー。動物の鳴き声や管弦楽とロックンロールコンボの層が交錯し、当時の若者(特に英国人)たちは「音楽って、こんなに広くて深かったのか」と目を見開いた。だが、Brianの世界は、ただ未来に向かって突き進むものではない。その音楽には、両親から影響を受けた戦前の米国ポピュラー音楽の遺伝子が、色濃く流れている。George GershwinやIrving Berlinの哀愁と洗練、Boogie-Woogieの溌剌さ、Doo-Wopの甘やかかつ滑稽なハーモニー、Jazzの自由な精神。彼の楽曲には、米国の音楽史が縦横に編み込まれ、重層的な音の物語が展開される。同時にそれはまるで、家族の歴史を語るような音楽だ。苦難の道を歩んできたWilson家の旅路。希望を胸に西へ進んだ彼らの軌跡は、米国建国の神話と重なる。その神話の続きを、Brianは音で描いた。『Smile』は完成に多くの年月と協力を要したが、まさに“西へ進んだ米国”が辿り着いた精神の地平を音にしたものだと言っていい。

彼の音楽に耳を澄ませば、そこには明るさと哀しみが混じり合う。主旋律の中に潜む切なさ。コーラスの重なりによって生まれる奥行き。転調とコード進行がもたらす予測不能の展開。そこには、愛というものの不確かさと、それでも信じようとする意志が込められている。恋のときめきと、失われた少年期のノスタルジアが交錯する。サーフィンと波の下に隠された、父との確執、兄弟との葛藤、精神的な苦悩。すべてが「音楽」という形で再構築されていく。まるで、人生そのものが一つの交響曲となって流れているかのようだ。
また、兄弟たちとの関係も彼の創作に大きな影響を与えた。Carl Wilsonの包容力あるボーカル、Dennis Wilsonの野性的でロマンチックな感性。これらはBrianの繊細な作曲に対する理想的な対位法となり、The Beach Boysというユニットの総体的な表現力を高めた。一方で、家族だからこその軋轢も存在し、それが時にグループの亀裂を生む原因ともなった。

今日、Brian Wilsonの音楽は改めて再評価され、若い世代にとっても新たな発見の対象となってきた。その理由は、彼の作品が単に懐かしさやノスタルジーに訴えかけるものではなく、音楽という手段を通して人間の感情、記憶、そして再生を描いているからだ。Brianの音楽は、私たちに問いかける——人生の痛みをどう乗り越え、どのように希望へと変えていくか。
Brian Wilsonは、単なる天才ではない。彼は、一族の歴史と米国の理想、ポピュラーミュージックの可能性と限界の狭間で、孤独にして壮大な戦いを繰り広げてきた存在だ。音楽という武器で、彼は“戦った”のではない。“語り” “許し”、そして“夢を見た”。Brianの出自と重なる米国西海岸という土地も、彼の音楽性を語る上で欠かせない。太平洋の広がり、陽光、そして新天地としての自由。西海岸は常に、米国人の理想と幻想が交差する場所であった。Brianはそこに現実と幻想の境界を曖昧にするような音楽を描き出し、西海岸の風土と精神を音に変えた。

そしてその夢は、時代を超えて今も響き続けている。今、彼の残した音を聴く時、我々はもう一度、米国という国の魂に触れているのかもしれない。希望、苦悩、家族、自由、敗北、そして再生――Brian Wilsonの音楽には、これらすべてが宿っている。西へ進んだ者たちが見た、果てなき空と水平線。その先に、彼の音楽が広がっている。その才能は人間の限界を超え、音楽を通して世界の構造を再構成するような力を持っていた。しかしその光のような才能ゆえに、同時に、この世界で生きることの苦しみも広く受け入れざるを得なかったのだろう。この世にただ一瞬だけBrianだけに聞こえてきた、幻のようなハーモニー。Brian Wilsonは、何かに選ばれた存在だった、それは、本当は天上に居るべき存在が、すこしだけ私たちのために降りてきてくれたのか?
80年余りの生涯は長いようで、しかし本人にとっては、この現世の衆生へ天上の調を響かせんとする「発声練習」のためのわずかな旅だったのかもしれない。

──そして最後に、このコラムを締めくくるにあたって、どうしても触れずにはいられない一点がある。それは、Brian Wilsonが一生心の底から愛した“食べ物”が、何だったのか──それを筆者が探り出せなかったことである。
いや、ピアノの前でうつむきながら「Surf’s Up」のコードを爪弾くBrianに、「一番好きな食べ物は?」などと尋ねるのは、あまりに場違いで無粋だ。しかし、その一言をこそ、誰かが聞いておけばよかった。サンドイッチだったのか?それともミルクシェイク?はたまた、ひと口頬張ればHawthorne Boulevardで車を駆け抜けた青春が蘇るような、西海岸特製バーガー、いやいやRoger Christianと夜を徹して語り合った際パクついたアイスクリーム・サンデーだったのか?──。
今となっては、それも永遠の謎である。
Brianの音楽は、あらゆるコード進行と情感、リズムと音色の選択によって、私たちに人生の奥行きを教えてくれた。しかし彼の胃袋が最も欲した一品──それだけは、音楽の中にすら残されていない。
ああ、それさえ聞いておけば、彼の魂をもうひと匙、味わえたかもしれないのに。
けれど──だからこそ、永遠の謎がまた一つ、彼の神秘の一部として私たちの心に刻まれるのかもしれない。

Your imagination running wild!

California Dreamland - A Tribute to Brian Wilson

Selection:MaskedFlopper,  Takahide Uchi(WebVANDA)

If there were a single spot on the musical map of America that gleamed more brightly than the rest, it would surely lie upon the sun-drenched shores of California, along the undulating edge of the western coast. One of the stars to mark that sacred coordinate is, without question, the figure of Brian Wilson. Yet his brilliance was not born of immediate blessing. Rather, its origin lay in the dust-choked hinterlands of the American Midwest. The Wilson family, wearied by the capricious weather and the monotony of agricultural toil, ventured westward in search of renewal. The American ideals of freedom, release, and new beginnings shimmered before them as a guiding light, their journey steeped in sweat and sorrow.

California was to be the promised land. And yet, what awaited was not paradise, but economic hardship, societal indifference, and mounting pressure within the family itself. Brian's father, Murry Wilson, having laid aside his own musical aspirations, channeled that frustrated passion into his household. Under his stern, at times violent, regime, young Brian sought solace in sound alone. At the piano, by the seaside, through the crackling of magic transistor radio, he began constructing a utopia of his own design. But this escape was no untroubled reverie. Attaining fame in his youth, Brian would soon find himself beset by profound mental afflictions. Schizophrenic episodes, auditory hallucinations, and crushing anxiety took their toll, further complicated by the lure and subsequent dependence on narcotics. Behind the image of the musical prodigy was a young man besieged by loneliness and confusion.

His music, then, is no mere confection of pop. Amidst the so-called "British Invasion" of the 1960s, wherein English bands stormed the American soundscape, Brian Wilson emerged as a singular force. Not by retaliation, but through the forging of his own sonic cosmos, he preserved the essence of American musical spirit. The album Pet Sounds stands as the very embodiment of this endeavour. Its harmonic complexity, its symphonic interplay of animal calls, orchestration, and rock instrumentation, left listeners—particularly the British—utterly astounded. "So music," they thought, "can reach such depths and breadths."

Yet Brian's musical vision was not merely futuristic. It bore within it the DNA of pre-war American popular music—the melancholy and elegance of Gershwin and Berlin, the exuberance of boogie-woogie, the sweet and ludicrous harmonies of doo-wop, the liberty of jazz. His compositions wove the American musical lineage into a multidimensional tapestry. At once, it resembled the chronicling of a family history. The journey of the Wilsons westward in pursuit of hope mirrors the very mythos of America itself. And Brian, in turn, drew out that myth in tones and melodies. Smile, though taking years and many hands to reach fruition, was nothing less than the spiritual frontier that America found upon arriving at the western edge.

Listen closely, and one hears in his music a mingling of brightness and sorrow. A melancholy nested in the melody, a depth revealed in the layered vocals, an unpredictability wrought by modulation and harmonic divergence. It is music suffused with the uncertainty of love and the wilful insistence upon believing in it nonetheless. The flush of young romance collides with the nostalgia of a lost "in my childhood". Beneath the surfboards and shimmering waves lie unresolved tensions with his father, fraternal conflict, and inner despair—all transfigured into music. As though life itself had become a symphony.

His brothers, too, exerted profound influence on his creations. Carl Wilson's tender voice and Dennis Wilson's wild, romantic spirit formed a counterpoint to Brian's delicate craftsmanship. Their union lent The Beach Boys a unique expressive power. Yet familial bonds are double-edged; the very closeness that birthed beauty also gave rise to fracture.

Today, Brian Wilson's work is experiencing a renewed appreciation, even among younger generations. This owes not to mere nostalgia, but to the fact that his music, through rhythm and harmony, engages with the full range of human sentiment: memory, emotion, and renewal. His songs ask us, again and again: how do we bear life's pain, and by what grace do we transform it into hope?

Brian Wilson is not simply a genius. He is a man who waged a vast and lonely battle at the intersection of familial legacy, American ideals, and the boundaries of popular music. He did not so much fight with music as he spoke with it, forgave through it, and dared to dream. The West Coast, his spiritual and geographical home, is crucial to understanding his voice. The Pacific's expanse, the ceaseless sun, the land of liberty—this coast has always been the site where America lays its hopes and illusions. Brian blurred the line between dream and reality, turning that coast's atmosphere into sound.

And that dream continues to echo across time. As we listen to his music today, we might feel we are once more touching the soul of a nation: its hopes, sorrows, kinships, freedoms, failures, and rebirths. The endless sky and horizon seen by those who journeyed west—Brian's music dwells just beyond them. His gift seemed to transcend the human, as though he reconfigured the structure of the world through music. Yet that very luminosity may have exacted a terrible price: to bear the pain of living in this world while channelling another.

That ineffable harmony heard by him alone, in a moment not meant for earth. Brian Wilson was, perhaps, a being chosen by something beyond, descending briefly from heaven to share with us his sound. His eighty-odd years upon this earth, for all their length, may have been naught but a fleeting sojourn—a mere vocal warm-up for performing the celestial.

—And as we bring this reflection to a close, one point remains unresolved, stubbornly lingering. Namely: what was the one food that Brian Wilson loved above all others? Alas, this author has failed to unearth the answer.

To ask such a question—"What is your favourite food?"—of Brian Wilson, head bowed over a piano, softly playing the chords of "Surf's Up"—is surely inapt, graceless even. Yet someone ought to have asked it. Was it a sandwich? A milkshake? A west-coast hamburger redolent of youth speeding down Hawthorne Boulevard"Fun,Fun,Fun"? An ice cream sundae shared with "Hot Rod head"Roger Christian during a night of fervent conversation?

We shall never know. That morsel of knowledge is lost to time.

His music teaches us the intricacies of life through every chord progression, every timbre, every emotional turn. But his truest craving—his deepest hunger—remains beyond the stave. Had we known, -wouldn' it be nice?-perhaps we might have tasted one final spoonful of his soul.

But then again—perhaps mystery is part of the divinity. And thus, one more eternal enigma is folded into the myth of Brian Wilson, never to be dispelled.

Your imagination running wild!

(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

2025年6月11日水曜日

The Bookmarcs&近藤健太郎出演★possible pop songs vol.1

 3月5日にデビュー・アルバム『Strange Village』をリリースした、シンガー・ソングライターの近藤健太郎が、所属するThe Bookmarcsとソロの2形態で出演するライブイベントが、7月19日(土)に名古屋市で開催されるの紹介する。
 今月20日に渋谷で開催する青野りえのワンマンライブのバンマスで、The Bookmarcsの相方である作編曲家の洞澤徹とのデュオと、ソロでは『Strange Village』の共同プロデューサーの及川雅仁がサポートで参加し、近藤にとっては初の名古屋ライブとなる。
 また対バンには、近藤の『Strange Village』のレコーディングにコーラスで参加し、学生時代には才女フレネシとバンド活動をしていたという、名古屋市を拠点に活動をするポップ・デュオのthe vegetabletsの西田浩一と西田美紀も出演するので、彼らの地元ファンにとっても嬉しいイベントになっている。
 なおこのイベントは客席数が限定となっているため、The Bookmarcsと近藤健太郎のアルバムを聴いて興味を持った、名古屋市近郊の音楽ファンは早急に予約し参加して欲しい!


【関連記事】

近藤健太郎:『Strange Village』


◎The Bookmarcs:『BOOKMARC SEASON』
リリース・インタビュー こちらをクリック


◎近藤健太郎:『Begin』
リリース・インタビュー こちらをクリック



possible pop songs vol.1


the bookmarcs

近藤健太郎

the vegetablets

jennifer juniper


djフジワラヒロユキ
dj山口真輝

7/19(土) 開場18:00 開演18:30

@今池 Modern World
愛知県名古屋市千種区今池1丁目6-11 KAREN今池
BAR The Modern Lovers内 3F イベントスペース
TEL: 052-741-5855

限定35名 料金2800円(ドリンク別)



※蛇足だがこのライブイベントのフライヤーのモチーフになっているのは、1987年にリリースされた、Sheriff Jackのセカンドアルバム『 What Lovely Melodies!』(Midnight Music/CHIME 00.34 S)のジャケットである。英国人マルチプレイヤー・ミュージシャンのLewis Taylor(ルイス・テイラー)の変名ソロユニットで、筆者はリリース当時通っていたマニアックなレコード店の「一人XTCで超お勧め!」のポップコピーに興味を持ち試聴して、直ぐに購入し1、2年はコンスタントに愛聴していた。

 その後テイラーは1996年~2004年の間にソロでアルバムをリリースした後、60年代末期に結成されたサイケデリック・ロック・バンド"The Edgar Broughton Band”のリユニオン時にアンドリュー・テイラーとしてギタリストでバンド加入していた。ソロとしては2022年以降に3枚のアルバムをリリースして現在も活動中だ。

(テキスト:ウチタカヒデ)